この世が終わらない理由

何年何月に世界の終わりがくる・・・。

ネットの記事で去年あたりまでは
良く目にした記憶があるのですが。

最近は終末のネタ切れなのか、
とんと目にしなくなりました。

もくしくは、
はたまたもう終末がやってきているから
「来るぞ!」と言わなくなったのか??

そうした終末思想だとか、末法思想的なものだとか、
はたまた都市伝説だったりとか
とにかく、ここのところ
そうした「予言」に基づいた
世界の終わりというものを聞かなくなりました。

こういうものは
社会が不安定な時に
まことしやかに囁かれる、
「意思を持つ社会」という集団にとっての
ある種の流行病なのかもしれません。

まあだいたい、日本人の場合
それこそノストラダムスから始まって
いろいろと世界が終わるぞと
何度も言われ続け、にもかかわらず
どれもがことごとく外れてしまって
信憑性が揺らいだところに、
全く想定外の東北の大災害が起きたりとかで、
根拠のない予言というものに
心を掴まれなくなってしまったというのも
あるのかもしれません。

例えばキリスト教などであれば、
その教義の中に「終末」が描かれていたりもするので、
文化的認識としての「終末思想」は
生きているのかもしれませんが、
いかんせん日本人にはそういう
「終末」に対するバックボーンを持たない
民族、文化であるので、
教義的な終末思想ではなく
それはやはり都市伝説的な
末法思想的なカルトなムーブメントとしてしか
認識できないのかもしれません。

そういう前提として考えた時、
今の日本人にとって
終末というものは
もういつだか分からない近い未来の出来事ではなく、
もしかすると「今。現在」に
直面しているものであったりするかもしれません。

それは観念や認識であったり、
実質的な何らかのシステムや構造だったり、
いろいろな物事が
瓦解していく様を今の日本人は
体験しているような気がします。

今、日本人は終末を体験しているのかもしれません。

とは言っても、
日本人に限らず、この世界中の人たち、
人類というものが完全に滅亡するということは
絶対にあり得ないでしょう。
まして一夜のうちになど、あろうことか。

肉体的な耐用年数を超えて寿命がきて、
肉体的な死を迎えることはあっても、
それでも人間は存在し続けるのだと思うのです。

少し科学的な理屈で言うならば、
人間はものを想うだけで
脳が働き、脳神経を伝達物質が動くのですから、
量子のレベルで見れば
考えるだけで宇宙は動いていると言えますし、
もしかするとそれは
「自分が考えた」と思っているそれですら、
実は何らかの宇宙の摂理が働いているのかもしれません。

この世界は常に動いています。
そこに何千年も留まり続ける岩山でさえ、
超ミクロな視点で見れば
動いて、つまり振動しています。

量子だとか、
それよりもさらに小さなものがあったとしても
それが動かないところは
完全な「無」なのです。

この宇宙の内側に自分の何かしらが
残っているとするなら、
たとえ肉体がなくなってしまっても
自分は存在し続けるのだと思います。

肉体が火葬されても、
灰となって、煙となって、
自分の痕跡が残ってるうちは
肉体的な死を迎えても
まだ自分は存在し続けるのでしょう。

量子のレベル、視点で見れば
形こそ変われど
急にその動きは止まらないです。

例えば偉大な芸術家がいて、
何百年も語り継がれるような作品を残したとしたら
どうでしょう。

おそらくその芸術家は
生前の肉体は無くなったとしても
間違いなく存在しています。

なぜならそこに作者の意思は生きているし、
その意思を汲んだ人もいるからです。

作者の思考に共鳴した思考が
肉体や時間を超えて
今もなお厳然と存在するのは
間違いのない事ですし、
こうして文化は生きながらえるのです。

肉体の耐用年数に比べれば、
精神というものはともすれば
永遠ほどに長く存在し続けるのです。

意思のあるものを
一瞬に消してしまうことは無理でしょう。

それ故に人類を一度に無にしてしまうような
終末は起こるはずがないのです。

しかし、先の芸術家の話のように
死後においても息づく精神こそが
自身の存在の本質により近いものであると考えた時、
いささか「肉体」に対する考え方も
変わってくるのだと思います。

自分の死後にも意思を伝達することができたとすれば、
人間にとって肉体は
本当にただの入れ物にすぎないと考えることができるからです。

いわゆる遺言などはその良い例で、
その意思を持つものがこの世に存在しなくても
その思いを伝えられるそれは、
意思の伝達を目的とした時、
肉体はただの入れ物としてしか機能しません。

それはつまり、
自由で多様に可変可能な精神を
一時的に制限して
肉体というパーソナリティを体験する
いわば一つのコンテンツとなるということを意味します。

なので人類が物理的に甚大なカタストロフィを体験して
一度にすべての人が滅亡するということはなくても、
もしかすると同時多発的に
肉体というコンテンツを全うすることはあるのかもしれません。

何百年先、
もしかすると人類に肉体は不要となるかもしれません。
そういう意味では
「今の人類」はこの地球上から
いなくなってるかもしれないでしょう。

しかしこの「ヒトという種」の乗り物、箱を
別の存在が利用しているかもしれません。

別に破滅だけが
人類の終焉ではないと思うのです。

この世が終わらないのは
人には永続的な意思があるからなのかもしれません。
逆に言えば、
何も考えなくなれば
あっという間に終わるとも
言えなくもないかもしれません。


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