身体を作り直すという事

最近はiPS細胞だとかSTAP細胞だとか、
病気を遺伝子レベルで操作して治そうだとか、
そういう技術が盛んに出てきて
また実用化(さらには保険の適用化)も
夢ではなくなってきました。

悪い部分(臓器)は細胞を培養して
新しいものに付け替えれば良い。
こうした治療のアプローチは
やがて不老長寿、無病の人類の創出へと
繋がっていくのかもしれません。

もちろん、万人誰もが
こうした医療を受けられるようになるには
さまざまなハードルがあるのも事実で、
人類が
パソコンや自動車のように
「ここが悪いです。付け替えてください」
と気軽に言える世界になるには
まだまだ相当な時間がかかると思います。

今回は仮に
人類全員がこうした不老長寿、無病の
医療技術の恩恵を受けられるようになったとしたら、
という仮定のもとにお話ししたいと思います。

悪くなったり老化した臓器や組織を
取り替えたり、再調整したりすることによって
完全に病気による臓器不全が完全に克服されたとして、
人はそれをどのように扱うでしょうが。

もちろん、生きるべき人が
それで命を救われ死なずにすむのなら
それは大変にすばらしいことです。

しかし、死ぬべき人が
そうした万人が壊れた臓器を付け替えることで
生きながらえることを強いられたらどうでしょう。

これはともすれば、
人類の種のあり方以前に、
社会構造にすら大きな影響を与える質のものと
なる気がするのです。

故に人は、そうした医療技術が実現したとしても
一度生命について再考しなければならないのでしょう。

地球上に生きる生物としての「ヒト」という側面、
もちろんそれは進化や淘汰の摂理を乱すものではないか
という問題も出てくるでしょうし、
もっと人間の心、精神に近接したところにある
倫理的な側面からも
そういう技術を人は利用していいのかという問題もあります。
またそうしたまさに究極とも言える医療技術を
適応するための法学的な観点からも
熟考せねばならない問題だと思います。

おそらく、こうした再生医療の進歩は
この先加速度的に進んでいくと思われます。

このまま何も考えないまま
「病気が治る技術ならどんどんやれ」
だけでは済まないのです。
やがて再生医療の技術は
今の法的枠組みなどあっというまに
追い越して法整備が後手に回っていくことは
目に見えています。

再生医療の恩恵を受けて
健やかに過ごしたいと思うのなら、
今一度真剣に
個々人が「生命とは」という問いに対して
一定の答え、哲学を導きださないと、
この医療というのは
いびつな社会構造を生むだけの、
それこそ「社会悪」になりかねない
危険性をはらんでいると思います。

そしてなにより、
人は生きるものであると同時に
死に行くものであるという
根本的な認識をどこまで深く理解できているか、
ここが大事になるのだと思います。

肉体を持つ生命は死に向かって生きている存在である。

この最も根本たる摂理、フォーマットを
どこまで書き換えていいのか。
医療技術をどんどん進化させることも大切ですが、
ここの部分の倫理や哲学が
ほとんどなされていないことに
いささかの恐怖を感じたりもします。


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