備え

季節がら、大雨による災害の
ニュースが多くなってきました。

そうした災害を引き起こす事象を
予測して備えるというのは
必要なのでしょうが、
予測によって「何かしらの手を打つ」というのは
いささか本質から外れてしまうように思えます。

つまり、予測を元に行動していたのでは
対応が後手に回ってしまうという事。

地震などでもそうですが、
やはり「絶対起こりうるもの」として
その被害をいかに小さくするか、
よく言われるところの
「減災」という考え方が
必要になってくるのだろうと思います。

災害に対して先回りするには
やはりこれしか術はないのではないかと思います。

以前もブログで触れた事がありましたが、
例えば「10年に一度の災害」などと
メディアが報じたりしますが、
この表現はかえって
情報を受け取る側の危機意識を
ぼやけさせてしまう要因になりかねないと考えます。

10年に一度と言われると人は、
10年に1度という周期の平均化された
確率論としてその言葉を認識しがちです。

しかし、自然はそれほど
計ったように動いてはくれません。

これも以前触れましたが、
極論で言うなら
10年に一度の事が起こった次の日に
次の10年に一度の事が起こらないとも限らないわけで、
災害そのものを
確率論に落とし込むと、
人の意識に猶予が生まれてしまうのです。

しかし自然は待ってはくれません。

もちろん、日がな
今災害が起きても対応出来るよう
気を張って生きていけというのも
現実問題厳しいでしょう。

かと言って予測や確立を元に
手を打っても、それが後手に回る可能性は
大いにあるのです。

災害による被害のシミュレーションは
研究機関や自治体がやるような
難しい実験結果に対してどうこう
というのではなく、
本来は個々人が
いつどこで、どのような災害が起きた場合
こう避難しよう、こう身を守ろう、と言った
ごく身近な自分の生活の範囲内で
「自分が想定する」シミュレーションを
持っている事が大事なように思えます。

また、個人の生活環境の中での
シミュレーションをする事は、
単なる「予測とその対応の確認」という
レベルの話に留まらず、
いつ災害が起こるかもしれないという
漠然とした「怖れ」を
大なり小なり取り除く事が出来るという点に於いても
有効であると考えますし、
これこそが災害に対する対応の肝であるのでしょう。

結果として災害が起きた時、
怖いままでいるのと、
対応をある程度考えておいた場合では
パニックによる社会の機能停止の弊害の程度に
差が出ると思うのです。

いざ災害が起きた時、一番怖いのは
「怖いから何も考えなかった人」の行動だと思います。
こういう人たちの行動ばかりは
凄いコンピュータを使おうが
予測のつくものでもないと思うのです。

世界各地で今、大きな自然災害が
頻発しています。
こうした災害によってある意味、
人は「考えた人」と「考えなかった人」という
振り分けがなされていくのかもしれません。
この二極化した人の辿る結果は
大きく違います。

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