純国産ポップは80年代に完成した

今年の5月に発売された
僕のファーストアルバム、
『風は群青の空をそよぐ』

以前から何度もお話ししていますが、
今回のアルバムは
僕の音楽の「基礎」の部分をしっかり
丁寧に聴かせる、というのが
コンセプトでした。

そして大事なのが、
この基礎から何が積み上がっていくのか
という事なのですが、
この部分に関しても
今回の基礎、骨格の部分から
既に方向付けはしてあったりします。

僕のアルバムを聴いて、
ある年代以上の人には
ある種の懐かしさを覚えるかもしれません。

それは1980年代の、
それこそ女の子のアイドルが唄っていたような
日本の歌謡曲のテイストです。

1980年代当時の
アイドルの歌謡曲というのは、
今のアイドルの歌を作る人とは
また少し趣が違いまして、
実は偽名、ペンネームの様なものを使って
こっそりと実力者が
楽曲、歌詞等を手がけていたりするのです。

その人たちは今でも
ビッグネームの大御所です。

そうした人たちが、
時代が時代なだけに
アイドルを通してでしか表現出来なかった
音楽の表現形態がある事に僕は気付きました。

でもそれらも今では、
80年代のアイドル風の音楽という域でしか
誰も語る事はありません。

これは非常にもったいないと思っています。

一人のアイコン(アイドル)を魅せるため、
どのような方法論をそこに適用させ、
一つの商品にするべきかという
試行錯誤のあとが音の一つ一つに
聴いて取れます。

僕も「鮎沢郁弥」というアイコンを
魅せるために、何をすべきかを
常に考えていますから、
80年代の大御所がやろうとしていた事が
僕にとっては非常に勉強になっています。

30年も前にあった音楽として
終らせてしまうのではなく、
こうした音楽は
今一度、再構築、再構成して
普通にアーティストが表現出来る
一つの形態として提示し、
この思想は受け継ぐべき。

あの音楽こそ、
純国産の日本のポップスであり、
それを踏襲する事こそ
純国産のロック足り得る。

そう考えはじめたのは、
今回のファーストアルバムの
楽曲のデモを制作、選曲をしていた頃からだったでしょうか。

言葉は乱暴ですが、
日本のミュージシャンは結構
日本の由来の思想、感覚を
嫌がって捨ててしまいますし、
ジャパネスクを排除する事こそロック的な
思考に陥りがちですが、
実はこの思考こそが
並のミュージシャンたちという
線に横並びにさせている元凶だと
最近気付いたのです。

そもそも、日本人が
日本でやる音楽なのだから、
まず日本人の感性が根本にあるべきだし、
洋楽的なアプローチは
日本人の感性を土台にしてするべきなのではないか、
そう考えるようになりました。

それに単純な話、
考えてみれば僕が物心ついた頃から
中学生くらいまでの時期と言うのは
日本の歌謡曲の全盛期で、
家でも外でもそうした音楽が流れていたし、
歌番組が放送された翌日は
絶対、その番組の話で持ちきりになったものでした。

そういう環境を育っているわけで、
日本の歌謡曲というものに対して
意識せずとも自然に英才教育を受けていたわけです。

その後、僕もあらゆる時代のあらゆる音楽を
聴いてきましたが、
やはり日本人が日本人のための音楽を
作っていた頃というのは、
やはり昭和40年代から50年代だったと
評価しています。
ここに純国産の日本の音楽がある、
そう確信しています。

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