動かざる集団

今週になってようやく
暑さが一段落した感がありますが、
先週あたりまで
酷暑を通り越して
灼熱の地獄のような暑さでした。

熱中症で救急搬送される人が
後を絶ちませんでした。

ニュースでもたくさんやっていましたが、
この灼熱地獄の中
学校でマラソンをさせるとか、
球技大会みたいなのをさせるとか、
そんな事をした結果がどうなるのかという
想像ができないのかと呆れますし、
誰も「止めようぜ」と言わなかった
その組織の体制にも問題があるといえるでしょう。

炎天下の中で激しい運動などしたら、
病院で治療しなければならないほどに
体調を崩す人が出てくるであろう
想定が出来なければ、
それは管理者として
全くの無能の一言に尽きますし、
贔屓目に見て
実は管理者の個々人の考えとしては
危険だと考えつつも、
そうした環境下での激しい運動を
中止させようと提言出来る
風紀が欠如しているのであれば、
これはまた
組織としての無能を呈した形になるでしょう。

一人の無能より、
組織の無能はもっと怖いです。

何故か。

組織という集団は
機敏かつ臨機応変に動くということが
困難になるからです。

いろいろな人がいるという事は
いろいろな意見があるという事です。
いろいろな意見があるから
組織としての向かうべき方向が
相克、相殺されてしまうのでしょう。

いろいろな人が
あれこれと好き勝手に、
ああしろ、こうしろ言うだけ言って
何も決められず、
決められないから動けない。
こうして組織は機能不全になる。

これは学校という組織の体制だけの問題ではありません。

日本の大きな会社も、
組織が大きくなって機能不全を起こしている好例ですし、
もっと大きな
日本の政治さえも機能不全が
慢性化しています。

さらに目先を変えて、
もっと小さな環境下での事例として、
それこそ個人的な人付き合いでも
この機能不全から惹起される
閉塞感にストレスを溜めている人も多いでしょう。

こうした「動かざる集団」に
身を任せて漂流してしまう怖さはどこにあるのか。

それは個人的な意志にかかわらず
集団意識が一人歩きをして、
間違った方向へ「集団」が動いてしまう事です。

例えば若者が、
一人では何も出来ないのに
集団になると急に強気になって
犯罪に走ってしまう原理もそうですし、
最近ではネットの書き込みに対して
「炎上」させてしまうケースもそう。
さらには
かつての日本がそうだったように、
「世論がナショナリズム」を育て
国自体が引き返す事の出来ないところへ
走りはじめる原理もまた、
「一人同士」が集まって
あらぬ力が生まれてしまう原理と同じであるのでしょう。

精神、意識の状態が
共鳴して、ひとりひとりの意思の力の総和以上の
力が生まれてしまう原理ですね。

ここまで力が大きく振れてしまえば
もう人、ひとりの意思の力だけでは
集団を抑止出来ないと思います。

客観的に第三者の視点で見れば、
灼熱の炎天でマラソンなどしたら
倒れる人が出る事など簡単に想定出来ます。

けれど渦中の当事者は、
それを想定出来ても
集団の中ではそれも否定されてしまう。

「決まった事だから」と。

集団の総意は
自身の合意とは別次元のものである、
ここはしっかり
心に留めて集団とも関わり方を
再考する必要があるのかもしれません。

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