救済に生きる

世の中が止まって見えるのは
自分が動かないからだ。
自分が動けば自ずと周りの風景が変わる。

だから選挙に行こう・・・。

それはさておき、
人というのは何故今ここに
生きているのか、生かされているのか、
そこを考えるに、
結局それはきっと
「自分自身の救済」の為他ならないと思うのです。

「今良かれ」と思う事をする事が
自分の救済になるのでしょう。
しかし、その「良かれ」も
本当の意味で「良いもの」でなければ
自分もまた本当の意味での救済はされない。

人は、自分自身を
真の救済へ導くために
今この瞬間を生きている。

ならば、何も為さない事こそ
最大の不徳なのかも知れません。

「自分の救済」というのは
おそらく、人がこの世に生まれ落ちて
最初に取り組むべき学びなのでしょうし、
その自らの救済と言う学びは
最後に終えるものでもあるのだと思います。

自分をいかに救うか。

そのためだけに生きる過程で、
他者について学ぶでしょうし、
それは拡大して
集団、社会、国、世界について
知る必要が出てくるでしょう。

そして最後に真理を知る。

ただ概念として知るのではなく、
自分の事として知る。

自分の事として全てを知りえた時、
ようやく
自分を真の救済へ導く光明が見えてくる。

そのためだけに
人は何かをしなければならない。

しなければならない事を
全て為すためには
人ひとりの人生だけではあまりに短い。
だから他者がいるし
社会があるし、国があり、世界がある。
そしてそこを超えたところに
真理があって、
その真理という庭には
鏡があるのでしょう。
自分を映し出す鏡が。

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