レスポールJr.から見る人間哲学

レスポールJr.
僕のライブのときの相棒です。

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この子は非常に傷つきやすい子です。

と言うのも、普通エレキギター(ベースもそうですが)の
ボディの部分というのは
塗装を何重にもしたあと、さらにそこから
ボディを傷から守る
透明の塗料を吹き付けてピカピカに仕上げます。
そんなボディを激しくぶつけ塗膜が
割れた、その断面を見ると
ちょっとした地層のようになっています。

レスポールJr.はそうしたコストのかかる行程を
省いているので、
塗装は見た感じ多分これ、
塗装は1回だけだと思います。
もちろん、表面保護のための
仕上げ塗装もされていません。

なので、別に雑に扱わなくても
いや、丁寧に扱っていても
知らないうちにあちこちに傷がついて
塗装が剥げてボディの木がむき出しになります。

この子の良い所はここだと感じます。
ある種、人間性の在り方にも通じるものがある。

コツコツとあちこちにぶつかっては
細かい傷をいっぱい付けて、
ハウリングやノイズが多いけれど
それでも鳴らすと良い音が鳴って。

人間もそう。

本当は買ってでも傷ついた方が良い。

傷つくから優しくなれるなどと言うと
かえって安っぽく聞こえてしまうものですが、
それでもやはり
傷つく事によって人は美徳を学ぶのだと思うのです。

音楽はその「心の痛み」から生まれるのです。
そして痛みを癒そうとする力を持っている。
故に、真に音楽の癒しの力を発揮しようとするならば、
実際に自らが進んで傷ついて痛みを知り
癒していかなければならない。

とある研究によると、
人は「楽しさ」や「嬉しさ」を唄う曲より
「哀しみ」や「切なさ」を唄う曲に
惹かれるのだそうです。

心の奥底に抑圧されて溜まっていた
「哀しかった」とかいうような
負の感情が、
暗い曲調を聴く事によって
カタルシス(放出)を惹起するのではないかと
言われているそうです。

この辺りは以前僕がお話しした、
「苦」は「苦」としていつまでも見続けているから
いつまでもそれが通り過ぎずに
苦しいのだというお話にも繋がる事ではあるのですが、
そうした心に滞った感情を浄化する作用を持つ
音楽というものは、
やはり自分で傷つき、そしてそれを癒す心を
身をもって体得しなければならないものだと
僕は思うのです。

自分の傷を浄化しようとする力を
自分の外側へ振り絞った時、
人の心を浄化する作用のある音楽が
生まれると信じています。
というか、長年音楽を作ってきた経験則で、
そうした自分の音楽的ルーツとはまた別の部分から
生まれ出て来る音楽がある事に気付いたのです。

僕の曲に古い、新しい、
正しい、間違っているという概念は
もう存在していないように思います。

ただ概念としてあるものと言えば、
その曲はどれだけの浄化作用を持った曲か、
その一点だけだと思っています。

しかし、そうした音楽を紡ぐには
それ相応の傷を体験し
魂を磨かなければならないものでもあるのでしょう。

僕はこれからも
人の痛みを映す鏡として、
たくさん傷をついていく事でしょう。

抑圧された哀しみを
映し鏡として奏で、
それによって排出された負の感情を
絡めとって空に還す、
そんな音楽をやっていきたいし、
それが理想です。

そしてそんな僕の音楽に対する
理想を具現化したギターこそが、
レスポールJr.です。

本当にいっぱいの傷が付きます。
けれど、たくさん傷がつくくらいに
弾き込んでいくと、本当に良い声で鳴きます。

僕もレスポールJr.のようでありたい。