自分は誰よりも自分の味方であるべき

自分に厳しく、人に優しく。
そう聞くとそれは美徳のようであり、
また高い人格の成せるものであるような
印象を受けますが、
こうした精神にはまださらなる
高み、より高尚な美徳があるのではないかと
思うようになりました。
もちろん、
自らを律し慎みのある心を持つ事は
とても大切ですし、
基本中の基本である事は間違いの無い事でしょう。
しかし、慎みを通り越し
ただただ自身に厳しさを課すだけでは、
それは美徳足り得ない。
自分に対して優しくなれない者が
どうして
他者をも優しくする事が出来ようか。
自分に厳しくある時とは、
それは自身の心の中に
赦せない部分を見た時であり、
それは自らを否定する視点を
持っている事にもなります。
自分を否定をともなう利他愛では、
およそ真実の愛にまで
手が及ばないように思うのです。
なぜなら、
その「否定する視点」がある限り
自分だけに留まらず、
他者に対しても断ずる精神で臨んでしまうから。
真に人に優しい人とはきっと、
自分にも優しい人なのでしょう。
言い換えるなら、
自分を優しく出来てはじめて
本当の意味で
人に優しく出来るような気がします。
自分に厳しくなるほどに、
それは自分を堕落の道に
貶めているのと同じような事だと思うのです。
もっとも調和した状態というのは、
自分も含めて、いや、
まずは自分を中心として満たされている事だと思うのです。
自分も人も満たされ、
悪と断ずることのない内的世界。
多分人はこの状態を天国と呼んだのでしょう。
断ずる事無く、
ただ自分は
自分のもっとも良き理解者であり、
あらゆる事を、
否定的な認識であるものですら
ただただ、
それで良いのだと赦すことで、
はじめて人は他者をを赦す事の
本当の意味を知る事が出来るのではないでしょうか。
常に自分だけは
自分の味方でいたいものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪
にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村