究極の美徳

このフィロソフィのテーマでの
お話も、気がつけば
350近くにまでおよぶ
大きなものとなりました。
その他いろいろなお話「つれづれ」に次ぐ
文章量です。
もう僕の書くブログのメインテーマと
言ってもいいかもしれません。
いろいろ、
人がより良く、苦もなく、
そして建設的に生きていくには
何が必要か、
そんなお話を僕なりに考えて
ずっとそれを文章にしてはきましたが、
でも結局のところ
そうした膨大な講釈、説法も、
根本的な意味に於いては
本当にどうでもいい事、つまり
そんなことをわざわざ
考える事でもないのではないか、
そんな風に最近は考えるようになっています。
いろいろと知恵を付けていくのは良いのですが、
知恵を付け過ぎても
頭でっかちになってバランスが悪くなるもの。
バランスが悪くなれば
転びもします。
自分の中に溜まった叡智は
自分の中で咀嚼したら
排泄する。
排泄したらきれいに洗い流して
また何も無い状態に戻る。
きっとこれは非常に大切な事なのだと思います。
知恵を付けたからと言って
賢者と名乗るなかれ。
賢者と愚者は表裏一体。
賢者を名乗るのであれば
まず、愚者である事を誇れ。
人の叡智とはそういうものなのだと思うのです。
要するに、
より良い想いを持って
日々の人生を生きていくのに必要なもの、
そんなものは
高い棚の上に偉そうに
置いてあるものではないという事。
ただただ、
微笑み、受け入れ、赦し、慈しむ。
人間、それだけ出来ていれば
満点なのだと思います。
そして、それ以外のものは蛇足である
そう言っても過言ではないかも知れません。
生き方にシンプルさが無くなっていくと
次第にその人生の評価は減点されてしまうもの。
つまり、
「よく分からないけれど感じの良い人」であることが
究極の美徳なのだと思うのです。
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