父と子と精霊の御名に於いて・・・

知人がブログで
エクソシストの話をしていたので、
その話にちょっと乗ってみます。
なんか映画「エクソシスト」は
シリーズ化されていて
いくつもあるようですし、
エクソシスト自体を題材にした別の映画もあるそうです。
やはり突出しているのは
70年代に公開された最初の「エクソシスト」でしょう。
イギリスのアンケートで
もっとも怖い映画のナンバーワンに
未だもってこの映画が挙げられるくらいです。
当時僕は、まだ小学校に上がるか上がらないかの頃で、
姉が見ているのを一緒に見ていて
本気でトイレに行けなくなったほどの恐怖を覚え、
今に至るまではっきり言ってトラウマになっています。
本当に怖かった・・・。
その後、80年代の後半に
特殊メイクなどを駆使したホラー映画が
乱発されましたが、
ああいった見た目のグロテスクさではない、
心底、精神にくる怖さが「エクソシスト」には
あったような気がします。
今後、「エクソシスト」は絶対見ない!と
誓っている僕ですが、
エクソシストという職業(?)じたいは
非常に興味深いです。
エクソシスト、つまり悪魔払いですね。
映画にもあるように、
悪魔と牧師の
高度かつスリリングな
心理戦に格好良さを感じます。
信心と冒涜のぶつかり合いですよね。
でも所詮、神が概念なら
悪魔も同等に概念でしかないのですよね。
そもそも思うに、
精神医学的なアプローチで
この「悪魔憑き」を考えるならば、
これは多分というかおそらく
多重性人格障害、もしくは
解離性人格障害と病名の付く症例だと思われます。
つまりいわゆるところの「多重人格」ですね。
今の医学では
これを服薬やカウンセリングで治していくのでしょうが、
エクソシズムはそうした人格障害の
医学的なエビデンスの無い
民間療法的な荒療治と見る事が出来るように思います。
例えば映画「エクソシスト」に類似する
症例のエピソードのシナリオとしては、
信心深い家に育った子供がいたとします。
子供は物心つけばいろいろと
悪い事も覚えるようになります。
そうした悪い事も
親が躾のためにもちろん叱るわけですが、
そういう悪い事は
悪魔のやる事だという物言いの
叱り方をした時、
半ば洗脳のように子供の心の中に
悪魔が刷り込まれていくのでしょう。
そして子供も、自分が悪い事をするのは
自分の中に悪魔がいるからだと信じるようになっていき、
そこに一種のヒステリーも加わり
人格の解離が起こるのだと思われます。
悪い事をするのは自分じゃない。
自分の中にいる悪魔が悪い事をするのだ、と。
その悪魔と言うのは
きっとミサなどで牧師が話し、
その子供が抱いた
「悪魔」のイメージなのでしょう。
こうして解離して独立してしまった悪魔を
元の人格の中に統合するために
エクソシズムはあるのでしょう。
つまり、悪魔を心から「追い出した」という
事実を意識下で認識させる事によって、
その悪魔と呼ばれる人格の
存在理由を失くす事によって、
元の人格を取り戻す。
エクソシズムは
そうした機能を果たしているのではないでしょうか。
古来、日本でもよく「狐が憑いた」などと言いますよね。
これも似たようなものだと推察できます。
そしてそれに対するお祓いもまた
エクソシストと同じ役目として機能しているものなのでしょう。
上にも書いた通り、
神も悪魔も所詮は人の創り出した概念に過ぎないのです。
・・・、しかし
概念として間違いなく
人の心に存在しているのは
疑いようの無い事実です・・・。