国の長をスリートップにするのはどうだろう?

昨日の男女同権の話の続きとして。

まず、そもそもの部分として
組織、社会、そして国家、
これらの長たる存在が
「唯一のひとり」であるという
概念そのものが、
実に男性的な論理だと思えるのです。

国体を構成する要素として
日本では「三権分立」
つまり、
司法、立法、行政が
独立したオピニオンとして存在し
バランスを取り合うことで
国家が成り立っているのですが、
その長たる総理大臣が
たとえ民主的に選ばれるべきものであるにせよ、
「唯一のひとり」であること自体が
これすなわち
「男性の是とする社会の論理」
だったりするのではないかということ。

今の政治の、
「女性議員を多く徴用する」向きも、
これは男女平等の具現ではないと思えるのです。
ただ単に、男性社会の中に
女性を放り込んだだけでは、
男女平等とはならない。

割と真面目な話として、
大まかなビジョンとして
日本という国家の長は
男性総理大臣と
女性総理大臣、
そしてセクシャルマイノリティ総理大臣、
この三者に分権すべきだと考えるのです。

いや、様々な大臣を束ねる長だからこそ
総理大臣なのでしょ、
と思われるでしょうが、
その長の単位は
必ず一つである必要はないのだ
ということなのです。

片方のジェンダーだけをひとり
長とすると、
結局、一元論上の
パワーの奪い合いにしか
ならないのではないでしょうか。

それで、話が平行線になるだとか
まとまらないだとか、
そういう結果になるとしたら、
それは人間が愚かだからという
一点に尽きるのだと思います。

知恵を使わなければ
人間すべてが
幸福に暮らすことなんてできないのです。