男性社会、女性社会

この世界、社会というのは
そもそも男性に都合のいいようなシステムを
基点として発展してきました。

民主主義が発達した国々は
そこに「建増し」するように
女性の権利を向上させることで
男女平等であることを実現しようとしています。

ただ、一般的なイメージとして考えるに、
男女平等、女性の権利向上を
スローガンとするフェミニストの
コンセプト自体が
結局、「男性社会の論理」から
脱却できていないのではないかと
感じることもあります。

この辺りはまだ僕は不勉強で、
またこれから必ず学ばなければならないと
考えている領域ではあるのですが、
僕に言われるまでもなく
「賢い本当のフェミニスト」であるなら
「男性社会主体」という足かせに
もどかしさを感じているのだろうと思うのです。

おそらく、前述で僕が言うように
僕が言うまでもなく
前々から、この矛盾点、非整合性に
言及する著書、著述は
ごまんとあるはずです。

実を言うと、
さっきから出てくる
「フェミニズム」という言葉自体の
コンセプトが
「男性と同等の権利の獲得」に
端を発している言葉なので、
その対義となる言葉がないのです。

このことから推察するに、
もともとフェミニズムという運動は
「男性の駆逐」という意味合いをはらんだ
性質を気質的に持っていた思想なのかもしれない、
そう考えるのは僕のうがった見方なのでしょうか。

ゆえに、こう思うのはただ単に
「僕の不勉強がゆえ」と
評されるべき事柄でもあるのですが、
ここの違和感に対して感受性を持たない
フェミニズムがあるとするのなら、
それは、一度立ち止まって
熟考したほうがいいのではないかと
提起したい事柄でもあるのです。

以前も同じような内容で
フェミニズムに対して
僕の思うところを書いたことがありました。
それと重複する部分があるのですが、
やはり
『男性主体の社会において
男性と同じ立場を獲得すること』
であってはならないのです。

真の男女同権を実現させることとは、
「この社会から男性上位の価値観を
引きずり落とす」
ことではなく、
『男性主体の社会の存在と同時に
女性主体の社会の存在を構築したうえで
その両者を共存させることができたとき』
その時こそが、男女が等価の関係にあるといえる
状態だと思うのです。

机上の空論でしょう。

「女性主体の社会」という
新しい世界を、
「男性主体の社会体制」から
切り離すようにして、それを
産まなければならないのだから、
途方もない困難がその先には
待ち受けているのでしょう。

早い話が
男と女にはそれぞれ
性質的な役割が備わっていて、
この両者を合わせて
この世界が成り立っているということ。
至極当たり前の話ですが。

天地がひっくり返っても、
男性には子供を産むことはできないし、
女性もまた男性無くして
より良い子孫を残せないのです。

男性に都合のいい世の中も問題ですが、
それに取って代わろうとする
フェミニストもまた
男性主体の価値観で、
男対女の権力闘争という
男性ならではの論理の渦中にあるのだろうと。

正直な話、
こういう次元でフェミニズムを
論じるべきではないのだと言えます。
この視点からは
対立しか生まれないのです。

そうならない、理想的な
男女平等を実現するには
相当に現状の社会システムを
変更しなければならないのでしょう。