溺れてこそロック

使い古された言葉ではありますが、
やっぱりロックというものはやはり、
Sex & Drug & Rock’n Roll
なのだろうと思うのです。

倫理的にどうとか、
法的にどうだとか、
そういう次元を超えたステージに於いて
やはり、上述のロックの三大要素というのは
それらであるからこそロックであるし、
これら無くして、あるいは知らずして
ロックはロックたり得ず、
その本質を実践できないのだろうと。

ならばと今の社会に於いてこれを実践したとしても、
間違いなく犯罪者となります。

ロックの三大要素を満たすと
整った社会を乱すものだからこそ
ロックであるし、
むしろ社会を乱さなければロックではないのです。
乱して均整を知らしめるのがロックなのです。

整えられた道を行く
ロックバンドなんて存在しない。
いたとしたら、それは
偽物か、作り物のどちらかでしょう。

そう考えると、
僕からすればロックを自でいく人なんて
まずいないのです。

というか、無職の酔っ払いこそが
ロックのフォーマットに近い人間像だと思えます。

ロック、ロックというけどさ
みんな、そういう生き方できるの?
結局、夢破れたらみんな
就職するんでしょ?(出来れば)

社会からはみ出すこともなく、
健康的な笑顔を振りまいてライブをする
若いロック系のバンドマンを見ると
こんな事は言いたくないのですが、
はっきり言って
臍で茶が湧くレベルだと感じるのです。

こいつらは、何にも溺れてはいない。
むしろぬくぬくと生きている。

しいて溺れているものがあるならば、
無目的というぬるま湯で過ごす暇な時間くらい。

まあ、ドラッグは許してやらないでもないが、
せめて酒やセックスくらいには溺れろと
言いたくなったりします。
それらで身を滅ぼした後になって
ようやくロックのメンタリティを理解できるというのに。

あえて自己肯定しますが、
僕のようにメンタルを病んで
精神科に入院してしまうまで
音楽を突き詰めてみろと思うのです。

閉鎖病棟からロックを眺めてみろよと。

年寄りの戯言なのでしょうが、
どん底を知らない若者がやるロックの
薄っぺらさには力が抜けます。

大量の精神薬でブクブク太って、
呂律が回らず、手がブルブル震わせながら
音楽を作っていたあの体験は
今の僕の持つメンタリティの形成にとって
欠かせない人生経験だったように思えます。

これをカッコ悪いと思うやつらは
ロックの魂を持っていないと断言できます。