惰性で仕事するからこうなる

パクることについて。

めんどくさいので(笑)
前フリなしでいきなり本題に入りますが、
そもそもなにかしらの作品を作る人というのは、
自分が一度、目にしたり、耳にしたものは
「これはこの人の作ったもの」という
把握と記憶がきちんとできていて
然るべきなのです。

いざ、
「おまえ、それアレのパクリじゃん!」
と言われて、
「もしかしたら、
昔どこかで見たものが
記憶として残っていたのかもしれない」
などと述べること自体、
プロとしてナンセンスなのです。

素人の僕でさえ、
僕が知りうる人の作品、
何万曲という楽曲のフレーズに関して
ほぼ完全に把握し、
それとできるだけ被らないように
膨大な記憶に引っかかる部分を
針の穴を通すように避けて作っているのです。

未知の楽曲を聴けば、
それが誰のどういう曲なのかは
極力調べて、頭の中でデータベース化して
記憶しているのです。
それが制作者の最低限の務めだと
思っているからです。

こういう最低限のことを
僕のような末端の表現者ならいざしらず、
まがりなりにも
一流のデザイナーが
そういう杜撰なディレクションをしている時点で、
完全にメッキの禿げた素人の所業であり、
また、そういう拝借してきたものを
選んできた外部のクライアントの
勉強不足も罪です。

1万や2万くらいの図案くらい
おぼろげながらでも、
何に帰属するものであるか
把握しておけよと思うのです。

これは記憶力や情報処理能力という
特製の優劣を言っているのではありません。

自分の作品ひとつひとつに
プライドと情熱と愛があるのであれば、
この程度のことは簡単に
やってのけられることなのです。

それができなくなる時とは
どういう時か。

それが「仕事」になってしまった時です。

「仕事」になってしまうと
何かと他人事になってしまう、
その姿勢が、こういう
叩けばどんどん出てくる
お粗末な事態を招いているのです。

作るものにプライドを持つと
今の社会では
本当にお金にならないです。
少なくとも日本では。

今の日本の
プロダクションにおける体質が
変わらない限り、
こういう人はこれからも
たくさん出てくるでしょう。