愛の難破船

『他の誰かを愛したのなら追いかけてはいけない』
(加藤登紀子作/難破船より)

思うにこれは真理で、
やはり求めた愛に応えてもらえなかったとき、
たとえ最終的な結果として
それがハッピーエンドであろうが
またその逆であろうが、
「差し出した愛に応えてもらえなかった自分」
というものを受け入れる必要は
あると思うのです。

つまりどういう事かというと、
完膚なきまでに
恋に破れるという事。

それでも、もしかしたら
叶うかもしれないなどという
塵にも満たない一縷の望みさえ捨て去ったうえで、
それを受け入れる事。

これは非常に大事なプロセスなのですが、
たやすく実行できるものでもありません。

ひっそり陰ながら、
愛する相手の幸せを
願う事さえしてはいけないのです。

破れた恋は追いかけてはいけないのだから。

追いかけてはいけない、という事は
どういう事なのでしょう。

つまりは、
愛を受け入れてもらえなかった
相手の現実には一切干渉しないという事です。

ゆえに、幸せを願う事も
干渉となるのだから
それもしてはいけないのです。

恋を手放すという事の本質は
ここにあるのだと思うのです。
そしてここまで出来て
ようやく失恋を乗り越えたと言えるのでしょう。

手放せないとおそらく、
延々と次には行けないし、
留まってどうなるものでもないのです。
なぜなら留まった時間や場所、
それ自体が
「恋破れた現実」という世界なのだから。

留まっても苦しいだけなのです。

たかが恋なんて忘れればいい。

本当の意味で忘れられたとき、
新しい春が来るかもしれないし、
結局は同じ春かもしれない。

けれどとにかく、
完全に忘れなければならない。

そしてとにかく、
相手を支配しようとする事を
手放さなければいけない。

春の訪れというものは
たいてい、
このような心境、境地に達して
落ち着いた頃だったりするものなのですから。