人は分かり合えないから自分がいる

やっぱり結局、
人は他人の考えている事など
突き詰めるなら、一切分かりかねるものなのです。

完全に分かり合えていると
豪語する人がいるとしたら、
それはきっと嘘か勘違いのどちらかでしょう。

人というのは、
やはりそういう世界を生きているのですし、
分かり合えない事にもきっと
何かしらの意味があるのでしょう。
いや、意味の有る無しという事より
そこに何かしらの意味付けをするのが
人間であるという事なのだと思います。

まず、人の考える事が何もかも
分かってしまったとしたらどうでしょう。
きっと、その中で自分はどう考えるかという
認識が出来なくなるはずです。

人の考える事が全て分かるという事は、
自分の思う事と他者の思う事か
等価になるという事だからです。

故に、自分で在るという事は、
人の考える事の認識を大なり小なり
遮断する事とも言えるのかも知れません。

他者の考える事を全て理解出来るのなら、
きっと人間関係の色々な面倒臭い事に
バランスをもたらし、
そういう物事が整うのでしょう。

しかし自分というのは、
自分を認識しながら生きなければならないので、
人同士の事についての最もバランスの良い姿を
想像し、推し量る事で
理想であろうとしなければならないのです。

人の事が分からないのは、欠落ではありません。
分かろうとしない事が欠落であり、
多くの人はこれの不在を当然のように思っているし、
また、慮る事と服従する事の違いも
理解出来ていないのでしょう。

自分が自分である事と等価に
人は人である事を
本当の意味で理解出来た時、
もしかするとそこでようやく
人の事を理解できる
人と成り得るのかもしれません。


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