お盆の功罪

前回のライブの帰り道の車の中で、
ラジオをたまたま付けていたら
お盆の話をしていまして、
少し聞きかじっただけで
別の音楽をかけてしまったので
あまり詳しい内容まではよく覚えていませんが、
お盆に関するトリビア的なものを
放送していました。

その内容なのですが、
お盆に実家に帰って親や祖父母、
もっとさかのぼって先祖だとかを
お経や線香を上げたりして供養をするという風習は、
インド発祥の仏教のものと思われがちですが
実は仏教が中国に入って
当時の中国の土着の文化(宗教観)である先祖の魂の存在という
概念が融合してそれが伝わり、
日本では1500年以上前から
今の日本でされているような「お盆」を
当時の天皇が国策で推奨するようになって、
それが江戸時代になると
庶民にまで伝わったというもの。

まあ、この先にもラジオでは
話の続きがあったのですが、
僕はここまでしか聞いておりませんでして・・・(笑)

で、ちょっと記事のネタになるかなと
ちらっと調べてみたら、
もともと仏教には自分の家の祖先を供養するという
考え方が無いというか、
むしろ逆にいわゆる「輪廻転生」という考え方があるので、
「何代も前の先祖なんて
もうとっくに生まれ変わっているのだから、
別に供養とかしなくていいじゃん」
というのが、元々も仏教のコンセプトなのだそうです。

仏教とか、宗教的なもの、
スピリチュアリズム的なものに言及するつもりはありませんので、
そちらのアプローチでは語りませんが、
あくまで認識、認知の点で見て、
死んで生まれ変わるという
輪廻のサイクルを基点で語るなら、
人は「先祖を供養しなければならない」という
認識始めたとき、
そのサイクルが滞ってしまったのかも知れません。

つまり、人は
死んで忘れ去られてしまえば
きれいに、スムーズに
生まれ変われたのかもしれないのに、
自分の子孫が
自分が成仏できていないのではないかと
一生懸命、手を合わせるほどに、
成仏できなくなるのかもしれないのかなと。

そう考えると、自然の摂理として
輪廻という機能があるとするならば、
むしろお盆は
生まれ変わろうとする魂を
かつての生に引きずり戻そうとする行為なのかも知れません。

なので、そういう難しい理屈は抜きにして、
お世話になった故人を偲んで
故郷に帰り、親兄弟や旧友と
久しぶりに旧交を交える風習として
緩くお盆に接するのが
健全なのだろうなと思います。


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