ボーカロイドに於ける考察

ボーカロイドとか
初音ミクとかいうものの名前を
聞いた事はないでしょうか。
パソコンで
元となる人の声を
コンピュータのプログラムによって
加工処理した
合成音声に唄わせるという、
いわゆるアプリです。
ボーカロイド自体は
もう10年近く前からあるんです。
ただ当時のミュージシャンのほとんどは
見向きもしなかった印象があります。
というか実際、
日が当たらなかったです。
ボーカロイドに日が当たったのは、
ボーカロイドの音声生成の
元となる素材に
声優さんの声をフィーチャーして、
いわゆる「萌え」的なキャラクターを
作り出して売り出した事が
きっかけだったように思います。
アニメ、声優、パソコン、
そうしたものに対して
包括的に興味のある人が
飛びついたのです。
ボーカロイド以前から
某楽器メーカーが、
DTM(デスクトップミュージック)
という造語を宣伝文句に謳って
パソコンで音楽を作る事を
提唱していましたが、
15年くらい前は
音楽として成立する
レベルの音を鳴らすだけの
性能はパソコンにありませんでした。
そこでシンセサイザーを
別途で繋げて自動演奏させていたわけです。
アマチュアでも頑張れば
ここまでの音楽を作れるんですよ、
そういう音楽の楽しみ方が
いっときは
ある程度認知されつつあったのですが、
結局流行は廃り
衰退してしまったのです。
しかし現在、パソコンの性能は
当時からは考えられないほどに向上し、
パソコン1台で
音楽として成立するだけの
演奏がこなせるようになりました。
しかも曲、歌は作れても
歌は唄えない、
そんな人たちにとって
ボーカロイド(初音ミクなど)は
自分の代わりに唄ってくれる
救世主であり、
代弁者となりました。
ここにきて、
ボーカロイドを使って
音楽を作るという動きが
再び興ったのは良い事だとは思います。
とかく縮小傾向の激しい
音楽の世界にあって、
ボーカロイドをきっかけに
音楽に触れる事の素晴らしさを
是非、深くまで知って欲しい。
ただ今後、ボーカロイドが
音楽の主流になるかと言えば
そうとは言えないでしょう。
はっきり言って
ボーカロイドは時代の徒花です。
とは言え、
それは悪い意味で言っているわけではないです。
ポピュリズムが祭り上げるもの、
それらすべては徒花ですし、
世間に定着し、認知された物事でも
もともとは徒花であった
ということは結構多いです。
次代にまで残るために必要な事は、
その徒花をただ単に消費して
使い潰すだけに留まるのではなく、
その花を育て
実を付けさせ、
新たな花を咲かせるための
種を作る事。
ボーカロイドが
一つの文化になるかいかんは、
すべて
ボーカロイドで曲を作る人(ボカロPと呼ぶらしい)の
力と志にかかっているのです。
何百年も前のクラシック音楽も、
ポップスもロックも、
昔ながらの歌謡曲も、
そのどれもが徒花でした。
今残っているものは、
そうした徒花の中で
力と志によって育てられて
種を残したものたちなのです。
よく、昔の曲は質が高かった
という事を言う人がいますが、
実はこれ違うのですよね。
昔から音楽の粗製乱造はあったし、
大抵の曲は
消えて当然の質だったのです。
今現在、
その時代、時代で
ピンからキリまである
雑多な音楽たちの中に於いて
ひときわ質が高いものだけが
振るいにかけられて残っているから、
結果的に、昔の曲は良質ばかりだと
錯覚しているだけの話なんですよね。
むしろ昔の方が
質の低い音楽の割合が
多かったのではないでしょうか。
残った良質の音楽たちが
「その時代を表す音」を形成して
人の心に残っているのです。
最後に
僕個人の見解として
ボーカロイドについて
言わせて頂くなら、
あれって結局、
指定された文章に
音程を付けて
パソコンに読み上げさせている
だけなんですよね。
そんなボーカロイドが
歌詞を唄うとき、
表層的な事実情報は唄えても、
さすがに愛までは唄えない。
唄にオーラを込める事が出来ない。
これは致命的だと思います。
というか、何だかんだ言って、
ボーカロイドも聴けば
あきらかに人の歌声じゃないし・・・。