うたごころ

まあ、言わずもがなの
周知の事実ではありますが、
僕は音楽を作る人間です。
よく人と話をしていて、
「どうやったら曲を作れるの?」
とか
「やっぱり勉強しなきゃいけないんでしょ?」
などと言われる事が
数年に一度はあります。
そんな時僕は、大抵こう答えます。
「恋すりゃ曲は出来るよ」
と。
質問に対して適当に
切り返しているわけではないです。
結局つまるところ
本当にそうなのだから、
そう答えているだけです。
家にこもって
楽典(音楽の理論書)と
にらめっこしていたって
曲は生まれないです。
外に出て
いっぱい遊んで、
真剣に人に恋をして、
そんな積み重ねが
音楽を生む肥やしになるんですよ。
音楽のエリートコースを歩む人は
子供の頃から厳しく辛い訓練を
受けてきたせいか、
その真理を認めたがらないケースも
多いのですが・・・。
とまあ、
そこまでは僕も理解していました。
今、アルバム制作真っ最中で
プライベートでは
完全に音楽漬けです。
で思ったんです。
音楽、歌の本質って
恋なんですよね。
もちろんそこから
愛に昇華していった音楽もありますが、
愛ほどにあらゆるものを
包み込む慈悲の肌触りと言うより、
恋する気持ちの肌触りと言った方が
音楽や歌を喩えるに
近い言い表し方のような気がします。
愛ほどは深くないのですが、
愛よりも圧倒的に純粋な
恋する気持ちが
音楽や歌の核なのではないかと
思えてきたのです。
そう、あの
キュン♪♪
これが歌なんですよ。
キラキラしていて
一瞬で通り過ぎていくから、
思わず目で追ってしまう
あの想い。
人の歴史をさかのぼっていけば、
歌、音楽の根源は
求愛に行き着くんですよね。
だから
良い曲を書きたければ
人を好きにならなければならない。
恋を否定する事は
音楽の囁きに耳を塞いでいるのと
同じ事です。
これでは音楽は生まれません。
いろいろな音程の音を
音楽の法則、理論に従って
並べたところで、
そこに音楽の心は宿りません。
論理や理性に
音を奏でる能力は無いから。
ただひたすら
たくさんの音楽を聴いて
そのケーススタディを熟知するだけでも
音楽は出来ません。
よそ様からメロディを
拝借してきたからと言って
そこに歌の魂が入っていなければ
聴く人の心は動かないのです。
人との関わり合いの中で
生まれる感情が音楽を
形成しているという事に
深いレベルで気付いていれば、
楽典的なものや
音楽的キャリアみたいなものは
あまり意味をなさないと分かるでしょう。
人の感情が音となったものが音楽。
そのなかでも
とりわけ美しいのが
恋が降ってきた時にきらめいた音楽。
これは本当に美しい。
僕も長く音楽をやっていますが、
歌は恋、
たったこれだけの事に気付くのに
膨大な年月がかかりました。
こんな人の心の
キュン♪♪を
いっぱい育て咲かせられるのは、
役得と言うか、
非常に光栄な事だと感じます。