鳥籠の中の鳥。
本当は籠の中に
囚われたまま生きたくはない筈です。
鳥は大空を羽ばたいてこそ
鳥なのです。
人の身勝手な愛情の都合で
空を奪われ
籠に囚われた鳥は
果たして本当に幸せなのでしょうか。
籠とは人の執着。
鳥を籠から出した時、
どこかへ飛んでいってしまわないように
繋いでおくための檻。
本当にその鳥を愛し、
鳥は鳥のままでいて欲しいと願うなら、
その鳥は籠から出してやるべきでしょう。
自らの欲で鳥を縛り、
自由を奪われて泣いているのを
どうして見過ごせるというのでしょうか。
そう思えるのが真の愛。
鳥は一度、籠から出してやれば良い。
そしてどこかへ
自分の手を離れて
遠くへ飛んでいってしまうかもしれない。
それでも心穏やかに
その鳥の事を愛せるでしょうか。
愛する人が自分の元から離れてしまっても、
それを受け入れて
喜んで愛せるでしょうか。
愛する鳥が帰ってこなくても、
もう二度と帰ってこなくても、
それは愛する鳥にとって
最も相応しい場所へと行ってしまったのだと、
鳥を許せるでしょうか。
そこで愛は試されます。
その鳥にとって、その人の部屋が
居心地の良い場所であるなら、
そのうちきっと
鳥は帰ってくるでしょう。
けれど、そこが
居心地の良い場所、
鳥にとって相応しい場所でなければ、
もう二度と帰ってきません。
それを鳥に対して許せないようなら、
それは愛ではないです。
人の身勝手な情欲です。
人を縛る人は、
いつかそのうち自分をも縛って
身動きが取れなくなり、
そこを地獄へと変えるでしょう。
そうなってしまっては、
戻ってくる筈の鳥も
戻ってはこない。
自由にさせた
真に愛する鳥を
己の部屋に住まわせておきたいのなら、
鳥が住みたくなるような
部屋にしなければいけません。
かと言って
鳥が好みそうなものを
どこからか取ってきて
飾ったところで、
鳥は騙せません。
見た目の飾りだけを飾ったところで、
そこに居心地の良い空気は無いのなら、
鳥は結局、そのうち必ず
出ていってしまうでしょう。
心地よい空気の流れる部屋には、
鳥が好んでやってくるでしょう。
それがたとえ
はじめに自分の愛した鳥でなかったとしても、
いろんな鳥がやってくれば
いつかまた、愛すべき鳥に
出会う事でしょう。
居心地の悪い
汚い部屋には、
それ相応の汚いものたちが
集まってくるでしょう。
もしかすると、
そんな汚いものですら寄り付こうとしない
荒涼とした部屋もあるかもしれません。
人は鳥の意思のまま、
鳥の行きたい場所に行かせてあげるために
愛をもって
籠から解放し、
鳥を手放す事が出来るでしょうか。
そして鳥が
帰ってこようが
こまいが、
それでも愛し続けられると、
確乎たる信念を持って
宣言する事は出来るでしょうか。
愛した鳥が
他の誰かの部屋に
居場所を見つけたと知っても、
嫉妬や絶望に狂わず
ただ純粋に
その鳥に愛を向けられるでしょうか。
本当はそれが出来ないのなら、
人を愛する資格などないのです。
試してみましょう。
鳥を籠から解放して
部屋の窓を開けて。
開けた窓からは
空が見えます。
陽の光が差し込んできます。
風が吹き込んできます。