人生

たまにペタを貼ってくる人で、
自己啓発系のセミナーとかの
宣伝をしてくる人が
時々います。
触れ込みでは
「いかに最短で効率よく成功を手に入れるか」
そんなことを謳っています。
もちろんそればかりではないですが。
でも正直、特に
こういう考え方には
漫然とした怒りすら覚えます。
汚い言葉を敢えて使わせて頂くなら
バカヤロウ、と。
人生にとって
目標に通じる道に
最短も最長も無いんですよ。
何が有用で何が無駄かなんて
そんな下衆な価値観で
人生を捉えるから
余計に人生に渇望が
つきまとってくるのですよ。
無駄を省くと言いますが、
省くから
人生、足らなくなるんですよ。
道のりが
短いなら短いになりに、
長いなら長いなりに、
その道程で遭遇する物事は
全て自分をより良くするために、
何一つ欠かせない物なのです。
だから人生の中で体験することは
酸いも甘いも
すべてが尊いし、愛すべきもの
なのだと思うのです。
酸いも甘いも味わってこその
人生だと思うのです。
そしてそれらは時と共に
必ずいつか
通り過ぎていってしまうから、
今こそ、この時にこそ
そうしたものを
目一杯受け取って、感じて、
それを養分に
自分の心の中に花を咲かせて、
こんな花が咲きましたよと
人に胸を張って見せられる
そんな生き方こそが
人生の真理であり、
醍醐味なのではないでしょうか。
自分の心に花を咲かせてくれる
養分、力となるものが、
人生という道のあちこちに、
それはまさに天の恵みのように
存在しているというのに
それには目もくれず、
どうして
人生、近道をしようとするのか。
人生は自分にとって
ベスト、ジャストの長さで
出来ているのですよ。
足りないものも
余っているものも無い。
それを否定して、
過去の失敗の意味にすら蓋をして
人生で何を育てるというのか。
何も育てないから
人生に愛が欠落してしまう。
何も育てず
愛の無いまま
達成してしまった目標は、
果たして本当に
自分の心を豊かにしてくれるのか。
人生、
目の前を真っ暗にするような
出来事が襲っても、
何もかもが滞って
うちひしがれても、
何もかもが虚しくなって
すべてを投げ出したくなっても、
『それでも私は人生を愛する』
そう言い続けて欲しい。
そう叫び続けて欲しい。
ただひたすらに。
たしかに
愛が物質的な富を
必ずしも生むとは限りません。
社会的地位を
約束してくれることも無いでしょう。
でも、
それでも人は
愛さなくてはいけない。
何故なら、
愛すること自体が
人の本質であり、
存在理由であるから。
人が健全な状態にある時、
その心は常に
何かを愛している。
愛の発現こそが心であると
言ってもいいのかもしれません。
人からありとあらゆる
自由が奪われたとしても、
愛することまでは奪えない。
まず自分の心があるのです。
自分の心が世界の中心です。
その世界の中心が豊かでないのに、
その周りの物事が
豊かに見えるはずが無いのです。
中心が荒んでいては、
周りも荒むでしょう。
愛とはこの世で最も美しい概念。
その愛で人生が回っている。
それ故に人生もまた美しい。
何が起きようとも
そこに愛を見いだせば、
それは自身の心の滋養となるのです。
愛を感じていれば
とりあえず何とかなる。
だから
近道だとか、無駄を省くだとか、
そんな考え方で人生を捉えないで欲しい。
そして
もしかして出来る事なら、
生きる中で
出来るだけ多くの愛を見いだして欲しい。
出来るだけ多くの愛を感じて欲しい。
人生はそれほどまでに美しいのだから、
むしろ買ってでも遠回りしていいくらいです。
それが人生だと思うのです。
それ故に人生は本当に愛おしい。