驕るなよ、人類

僕自身はその極限的な意味合いに於いては、
この世には神など存在しないと考えています。
しかし、神という概念に相当する
自然や宇宙の法則は、
人智を超える範囲に至るまで
あまねく存在し、その仕組みから
外れることはできないのだとも思っています。

ここで言う自然や宇宙の法則というのは、
胡散臭い自己啓発などが語るような
どこかエゴイスティックかつドグマティックな
法則性という意味ではなく、
もっと普遍的な
例えば、
万物は重力のある方向へ引き寄せられるとか、
気温が上がれば
それを冷却するために雨が降る仕組みだとか、
土壌に生き物のしたいがあれば
それを分解し土の肥やしとするバクテリアかいるとか、
そういうシステムとしての機能は
神と呼べるのではないかと考えます。

だからと言って、
いや、だからこそ
人は神を超えてはならないし
超えるには人の力や叡智など
あまりに無力なのでしょう。

人はどれだけ、自然の法則をコントロールしようとも
どたい無理だろうし、
そもそもこの世のシステムに則った生活をしていれば
自然の法則を変えなくても
自ずとこの世界の均衡を保たれるようになっているのです。

人間が愚かなのは、
そのことを気づけないまま、
あるいは分かってはいても、
己の欲に負けて
そうした法則を乱してもやむなしと
考えてしまう業を背負っていることに
あるのだろうと思うのです。

故に人間は、
非論理的かつ理不尽なまでに
人間の諸行を断ずることの出来る
「神」の存在は必要なのだろうと考えます。

実在するか、
あるいはその存在を立証せしめるかは
問題ではなく。

自然の完全なシステム、
要はそれを「神」と言い換えても良いのですが、
人より上にそういう存在を置かないと、
人はどんどん傲慢になって、
どんどん強欲になって、
「神」さえ支配できたと勘違いしてしまうのです。

こうやってシステムを乱し、
不全たらしめているのは、
地球の活動の周期とかそういうものではなく、
単純に人類が招き寄せた結果にあると、
何故、省みることが出来ないのか、
何故、そこを考えて正すことが出来ないのか。

自然のシステムを乱すという事は
己のシステム自体を乱すことに繋がっていると
なぜ分からないのか。

諸悪の根源は、
こういう事を考えさせない
人類が構築した、
社会、経済、産業のシステムにあると
思うのです。

驕るなよ人類。