自分の中で音楽を再構築する時期が来ている

今、自分の中での
音楽の在り方について
思うところが多々あります。

若いうちは、
それこそ今時の若い人同様に
音楽で一発当てて有名人になって
大金持ちになってとか、
そういう夢を持つことも大切だと思います。
むしろ、若いうちは
そういう目標がなければ
音楽の技術や感性なんてものは
磨かれません。

若いうちに歌や楽器をやっていて
「まあ趣味だけどね(笑)」などという奴は
10年経っても、所詮趣味レベル。
そいつの存在そのものが音楽に対して
趣味レベル。
それで良ければそれはそれで勝手ですが、
その位置から
さらなる高みは遥か先でしょう。

とはいえ、
抜き差しならないほどに
音楽から足を洗えなくなってもなお、
夢破れ、そのくせ
実力や感覚というものだけは
無駄に伸びてしまった
僕のような人間にとって、
「いつか掴むぜビッグマネー!」
と言うようなテンションで
音楽はできないと思うのです。
というか、40歳超えてそれでは寒い。

若い頃の野望は
叶わなかったかもしれないけれど、
かと言って
若い頃から夢見てきたクオリティの音楽を
自力で作れるようになったという
意味においては、
メジャーとかで「売れる曲」を
無理やり作らされ、
1年の3分の1も芽が出るかもわからない
ライブに費やして、
結局中年以降はラーメン屋を経営しているとか、
そういう結果になるよりは
断然、今の自分は
「音楽に関して」は十分夢を叶えたと
思っています。

けれど、音楽で一旗挙げられなかったことは
まぎれもない事実であり、
やはりそれには、
それなりの理由があったのだろうとも
思えるのです。

なんとなくですが、
やはり僕のやっている音楽に関しては
「信者を作る」ことは許されないのだろうと感じます。
つまり、
人(客)を捕らえてはいけないということ。
あるいは依存させてはいけないということ。

あくまで「聞き手」となる人の
いかなる自由も奪えない。
その上で自分はどんな音楽をするのか。
今の僕の模索の焦点はそこにあります。

もっとも、売れない僕が言っても
負け犬の遠吠えにしかならないことは
重々承知してはいるのですが、
商業的に成功する音楽というものは、
素人の人からすれば
聴こえはいいのでしょうが、
聴く人の精神の解放無くしては
音楽はただの業としか
ならないのではないと思えるのです。

わかりやすく言えば、
人の心の隙間の痛いところを突いて
そこを埋めるふりをして
その人を捕える音楽は何か違う。
人の心の痛いところを
しっかり治して、
「元気になったからありがとう」と
最終的に、聴く人の自立を促す
音楽でありたいのです。

ただ、これでは食っていけない。

ゆえに僕はここで、
音楽の在り方について
30年やってきたその経験を
再構築する必要があるのだろうと
模索しているのです。

そして今の時点で
一つだけ答えは出ています。

僕、というより
僕を通して紡ぎ出される音楽というものは、
その音楽で人を隷属とすることを
明らかに望んでいない。

だから僕は今日も模索するのです。