贅沢しなくていいなら働く必要もない

あくまでも、
「贅沢をしない」
「欲をかかない」という価値観が
基底にある事が前提の話ではあるのですが、
別につましい生活でも
満足できるのであれば、
働いた量を所得へ還元する率としては
当然、低所得の方が得だったりするのです。

簡単に言うなら、
税金として国にお金を払うのが
損、無駄と考えるなら、
逆に働かない、あるいはほどほどに
する方が、いろいろ控除される事が多いのです。

「贅沢」というインセンティブで
経済を煽って、生活が潤うように見せかけて、
実はその分税金で差し引いて国のお金が増える。
もの凄くざっくりとして言えば、
これが国家のマネーフローなのです。

そもそも、消費税や県、市民税などで
最低限の国体維持ができず、
国民の持つ財産まで
税金にかこつけて奪おうとするのは、
商売として考えると
実にえげつない仕組みだと思えます。

働くほどに、儲かるほどに
奪うのが国なのです。

もちろん、ここでいう損得というものは
相対的な割合の問題であり、
実際の実感としては
絶対的な報酬の量に目がいってしまうので
文句は言いつつも
切実にこのシスムのおかしさを
糾弾する人なんてあまりいないのでしょう。

1億2000万円持っている人が
その半分の6000万円を取られるより
120万円持っている人が
半分の60万円を持っていかれる方が
ダメージが深い事は明白です。

もう一度言いますが、
あくまで『贅沢に興味がないのであれば』という
前提にたって言っている事なのですが、
贅沢する気がないのなら
相応以上に働く必要などないのです。
かえって無理して働くと損です。

だからと言って働かず、
生活保護を受ければ得かと言われれば
その答えは否でしょう。

生活保護というのは
国の財産に100%依存する事になるので、
国が破綻した時には
国と一蓮托生の身となるからです。

だから本当は
ほどほどに働いて
あとは好きな事をやっている方が
人生、いちばん実りが多いのでしょうが、
果たして人をしてそれは可能なのでしょうか。

家庭を持ち、子供も出来たとなって
一般論としての人情として
そういう適当な働き方を良しとできるでしょうか。

この問いに後ろ髪が引かれる部分があるほどに
おそらく人は
世俗に縛られ没入してしまっているのだと思います。
そしてそこでは
人の生き方の本質などは
必要とされる問いではないのでしょう。