ニュース記事は分別して配信した方がいい

ニュースというものは
生活の中で必要な情報を得るために
見るべき一つのメディアであることは
明白ではありますが、
実のところ見なくても
特に困ることはないのかもしれないとも
思ったりもします。

確かに、ニュースというものは
災害や事故、事件などが
自分の身に差し迫っている時には
必要なものだし、
そうした何かしらのトラブルを
事前に知って回避するための
情報収集ツールとしては
非常に有用なツールではあります。

ただ、最近ことに多い
誰が誰を殺しただとか、
誰がどこでお金を盗んだとか、
自分の生活から遠い
こういうことまで
自分の生活の中で
果たして本当に知る必要があるのか、
そういう意味において
というか、
そういうニュースまで
見る、知る必要がないのではないかということ。

単純に、自分の身の回りで起こっていないことを
聞いてはいちいち気を悪くするのは、
人生の中で結構な時間の無駄遣いのように思えるのです。

政や、司法が正しく機能しているかとか、
こういう事柄については
やはりすすんで知るべきでしょう。

けれど、およそ関わりのない
よその刃傷沙汰まで知る必要は、
やはりないのだろうと思います。

そういう知っても何も特にならない
ネガティブな感情を引き起こすような
情報に例えば1日30分翻弄されたとして、
1年365日のうち1週間くらいの期間、
そのネガティブな情報に
心乱されるわけで、
それがただ1つの情報だけで
済めばいいのかもしれませんが、
日々流れてくるニュースの中で
ネガティブなニュースの情報が
記憶の中に蓄積されていくことを考えると、
人間は一生のうちで
相当の割合を
ネガティブかつ自身にとって無益なニュースに
心を患わせていることになるのです。

これは、人生の損失といってもいいでしょう。

自衛隊を国軍にするとか、
それは国民の知る権利として
情報を得る必要はあっても、
500km離れた町の
駅の構内で起きた通り魔事件まで
知る必要はないと思うのです。

ゆえにもしかすると、
刃傷沙汰や物取りのような案件と、
行政や司法に関わる案件とで
分けて報道したほうがいいのかもしれません。

少なくとも
同一の番組、紙面の中で
報じる必要がないように思えるのです。