昭和の子供は駄菓子屋で社会性を育てていた

昭和のせいぜい
50年代前半くらいまで、
まあだいたい
バブルの絶頂前くらいの頃までは、
街には駄菓子屋というものが
どこにでもありました。

昭和の時代の小学生は
学校が終われば
50円玉、100円玉を握りしめて
駄菓子屋でお菓子やジュースを買ったり
くじを引いたり、おもちゃを買ったりと、
まあいろいろと遊んだものです。

当然駄菓子屋には、
いろいろな子供たちが
訪れるわけですが、
たまには
「こら、それやっちゃだめ!」
と叱られるようなことをする子供も
いたりするわけで、
そうすると
駄菓子屋の(たいてい)おばあちゃんとかが
そうことをする子供を
「こら!」と叱ったものでした。

ここでポイントなのは、
駄菓子屋でのコミュニティというものは
基本的に親の目の届かず、
本来、親はノータッチのコミュニティである
というところです。
親の管理下だと、親の体面が
影響してきますから、
あくまで親、親族は
子供の世界から排除されなければなりません。

そういう状況のもとで
考えてみると意外に、
家庭でのローカルルール、価値観から
「やっちゃだめ」と言われることもあったり、
自分の家では確かに普通に叱られることでも、
よその家では
烈火のごとく怒られたり、
またその逆で
家では親の逆鱗に触れるようなことも、
よそでは、軽くたしなめられる程度だったりと、
こういう幼少体験を
駄菓子屋を軸に経験することも多く、
こういうところから
ものの善悪を判断するバランス感覚を
知らず知らず学んでいたところもあったのだろうなと
考えたりもします。

今の時代、駄菓子屋などないし、
自分の家の家風の範囲外にある
別のルールにに触れる場所も
少ないのだろうなと思ったりするのです。

せいぜい、学校と塾くらい?
あと僕は縁がなかったのですが
児童館とか?託児所とか?

塾が躾までフォローするのかという
疑問もありますし、
学校もパブリックなルール以外の
「人としての躾」という
個人の自由に埋没してしまう類の
もっと細かいルールとなると
なかなか踏み込めない部分もあるそうで、
いずれにしろ、
やはり部外者にしつけられるシーンは
昔に比べて格段に少なくなっているのではないかと
感じたりもします。
少なくとも駄菓子屋(あるいはそれに準ずる場所)は
子供の躾に関して
一定の影響力を持っていました。

最近では、
(若い)大人でも社会で叱ると
その親がクレームを入れる時代だそうですが、
これは明らかに躾の偏狭と言っていいでしょう。

自分の子は
自分の価値観から導き出された
良俗だけを教えればいいという
ものではないと思うのです。
もっといろいろな他人の
「キレるポイント」を子に提示し、
子自身にものの善し悪しのなんたるかを
考える知恵を身につけさせるところに、
躾の本質があるように思えるのですが、
いかんせん僕は
子を持つどころか
嫁もいない立場なので、
なんか説得力がないですね(笑)