ニュースキュレーションアプリの怖さ

iPhoneやiPadを使わない人からしたら
全く興味のない話でしょうが、
先日、上記のデバイスの
新しいシステム「iOS9」が
発表になりました(リリースは今秋)

今回のお話はそういう技術的なことではなく、
この新しいシステムに付属している
ニュースアプリについて気になったことを
お話したいと思います。

ニュースアプリは日本でもいろいろなものがあります。
いわゆるキュレーションアプリというやつです。

いろいろなニュースや情報を発信するサイトを
あらかじめ登録しておくと、
それがニュースアプリの方に集約され
閲覧できるという、あれです。

それ自体、非常に便利なのですが、
今回新しいiOSについてくるニュースアプリは
読む人の閲覧行動、動向から
その人の興味を判断し、
それに関わる記事を自動で集めてきてくれる
というのです。

まあ、すごいと言ってしまえば
それまでなのですが、
これが何気に怖いと感じます。

実際アプリがどの程度
ユーザーの興味を
汲み取るのか、あるいはその制度の如何など、
多くのことが未知なので
決して断定できるほどの
説得力を持たないのですが、
そのアプリの宣伝どおり
ユーザーの興味のあるものだけを
拾ってくるとなると、
ただでさえ視野狭窄状態に陥りがちな
ネットの世界に張り付かせるスマホは
さらに偏った価値観や精神性を
育てる苗床になりはしないかという
危惧が起こります。

例えば大昔(と言っても数十年前)などは
お茶の間のテレビから流れるニュースに対して
家族が食卓を囲んでああだこうだ言うなかで
価値観の多様性を体感できたものなのですが、
今は個人がスマホで情報収集をし
自身で解釈して、
自身で納得し、
自身で完結してしまう時代なのです。

現代というのは
例えば一つの情報に対して知識を得たとき、
それを解釈して
「こうなんだ」と個人的に思ったとします。
もし、それが的を射た見識じゃなかったとしたとき、
「いや、お前それは違うんじゃないの」と
言える人がいない時代です。

それ故に、
物事を間違って捉えないまま
思い込んでしまうことも多くなるのでしょう。

キュレーションアプリ(システム)は
ユーザーが迎合し喜ぶ記事ばかりを
勝手に集めてきますから、
物事の個人的な曲解が
顕著になる可能性を孕みます。

それがやがて、
多様なことなる見識や価値観を
認めない精神性を育て、
その精神はスマホの画面が提示する
一元的な価値観の中に
囚われていくのでしょう。

さらに怖い可能性があります。

このように
「情報の虜囚と化した民衆」というのは
往往にして思考が停止していますから、
逆に情報を発信する側からすれば
虜囚たる民衆のコントロールが
容易になるにです。

そう、簡単にナショナリズムを
画一化できてしまうのです。

ネットの情報というものは玉石混交で、
手に取った情報を吟味し、精査し、評価することで
本物の情報を見つけるというのが
本来のあり方でした。

しかし、
情報をより分けるという行為を
放棄してしまうと、
ともすれば
とてつもなく大きな虚偽の中に
身を投じることにもつながるのです。

自分の知りたいことくらい、
自分で探して、
何が正しいかを自分で判断した方がいいのです。