愛される人、憎まれる人

「愛される人」というのは
どういう人なのだろうと、
ふと考える事があります。
それは決して「好かれる人」の事ではありません。
あくまで「愛される人」の事です。
「好かれる人」になるのは多分、
簡単な事なのだと思います。
いつもニコニコして、主張せず、
人の話に当たり障りなく受け答えをして、
誰に対しても無害でいれば
まあ大抵は誰からも好かれます。
「嫌われる人」にならないためには
この逆の事をしなければいいわけです。
ただ、人から好かれたからといって
必ずしも「愛される人」には
なり得なかったりします。
「愛される人」になるには
何かしら、ぶれない芯のようなものを
持っていないといけないのではないかと
思うのです。
そしてその、ぶれない芯を
正々堂々と主張出来る強さも
必要となるのでしょう。
きっと「好かれる人」が
愛される人たり得ない状況というのは、
嫌われたくないあまりに
自分の芯がころころと変わるのでしょう。
「本当はこれが良いのに」という想いに
蓋をして、自分自身を
愛し難い自分を演じてしまうから、
結果として「好かれる人」から一歩踏み込んだ
「愛される人」になれないのだと思います。
「愛される人」は自分の芯を愛しています。
そして何より輝いています。
自分の芯を強く主張する事で
それに惹かれて多くの人が
魅了されるかもしれませんが、
逆にその芯に反発して
憎まれもするのだと思います。
光が強いほどに
影が濃くなるように。
「好かれる人」と「嫌われる人」は
自分が望む立ち位置や
自分のものの味方で
好きなように、どちら側の人間にもなれますが、
「愛される人」は
同時に「憎まれる」事も
背負わなければならないのではないでしょうか。
人は万人から好かれるようになる事は出来ますが、
万人から愛される事は絶対にありません。
自分の芯をどれだけ愛せるかと
人からどれだけ愛されるかの度合いは
比例するものなのだと思います。
自分の芯を愛するという事は
それすなわち
本当の自分を愛するという事であり、
そうした精神性が
まるで芸術のように整っている者を
特に日本では、何かとつまはじきにします。
一度浮かべば、
手のひらを返したように
持ち上げるくせに。
集団の中で輝く事はいけない事だと言う。
なぜなら、
その輝きで自分が掻き消されそうな恐怖を覚えるから。
なぜなら、
その輝きが自分の影を色濃く映し出すから。
だからなるべく、
周りと同じ色をして溶け込んで
目立たないようにして・・・。
そうしないと
憎まれてしまう。
きっとそうした「憎まれる人」、
この場合「嫌われる人」ではなく
あくまで「憎まれる人」なのですが、
そうした人の中にはきっと
愛の本質がきらめいているのだと思うのです。
それを他者が見て
心地良いと感じようが、不快と思おうが、
そこには間違いなく
精神が強く何かをエネルギーのようなものを
放っているのでしょう。
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