いつかアナログは帰ってくる

以前、
パソコンやスマホの
いわゆる「クラウド」と呼ばれる技術について、
最近はクラウド上に広がるスパムの件もあって
非常に使いにくい、そんな話をしたことがあります。

一方でまた、別の記事では
逆に、手書きの方眼ノートが使い易い、
と言った話もしました。

やっぱり、何でもかんでも
デジタルになるのは
却って生活が不便になるものだと、
思い至った僕ですが、
ここ最近の
手書きの手帳がもてはやされている流れを見ると、
やはり、皆同じような不便を感じていたのではないかと
思ったりもします。

普段のちょっとした走り書き程度のものだったら
チョチョイと手書きで良いんだ!と
我に帰った時の清々しさと言ったら(笑)

綺麗に清書が必要となった時は
ワープロを使えば良いわけだし、
手書きの紙でも
半永久的に保存したいなら
スキャナーを使う手だってある。

よくよく考えて見ると
実は秘匿性の面で考えても
やはり紙媒体の方が断然、優れているわけで。
パソコンとかに残すと
消しても記録がサルベージされてしまうこともありますが、
物理的な紙なら、
燃やしてしまえば跡形も残らないという優秀さ。

今の時代、とかく
デジタル機器がネットワークに繋がって、
という風景が日常になってしまっていますが、
そのうち、2〜30年前の風景だった、
家の書斎とかに1台、
ワープロやパソコンが埃をかぶっているような
そんな風景が戻ってくるように思えます。

今、ネットの技術やデジタルのそれで
「なんか邪魔くさい」と
辟易してしまっているものは
全部、なくなるか、
水道管や電線のように不可視化されて
意識しなくなるかのどちらかになるのだろうと思えます。

そして、そんなに世界になった時、
不可視化されたデジタル技術に
潜在的にコントロールされているような
生活を送っていたとしたら、
おそらく、人間にとってのバッドエンドだと思うのです。

どこかでアナログ回帰が起きて、
全てとは言わずとも
その場、その時で
不要なデジタルなものに
アナログが再び置き換わることができれば、
多分、今よりは
人間的に豊かな生活がそこにはあるような気がするのです。


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