富の帝国が右に傾く

今、世界中が
右傾化していると言われています。

ナショナリズムだとか保守だとか。

過去の歴史をなぞらえて
世界大戦直前の空気という人もいるくらいです。

ここで考えていただきたいのですが、
そもそも「誰が右傾化しているのか」という点。
まあ、世情や集団心理に煽られてしまう人も多いので
誰もが右傾化していく、と言っても
間違いではないのかもしれませんが、
ここで言うのは、
「そもそも誰が右傾化し始めたのか」という点です。

そう考えると、そこに現れるのは
既存の社会システムや通念の中で
十分に適応して不自由なく暮らしていた人たちであり、
時には彼らは強者であり、勝ち組に属する人なのです。
また同時に、先進国においては
「ありきたりの会社員、社会人」であるのかもしれません。

普通に考えれば、
別に何不自由なく社会に適応して
人生を謳歌できるはずなのに、
なぜだか、現状に対して
逼塞して、居場所を追われるかもしれない
危機感を感じているのです。

その原因はやはり、
スポイルされ続けた弱者が
良かれ悪かれ、
行動するようになったこともあるでしょう。
けれど、弱者の暴走を止めることができないほどに、
強者が弱体化していることの顕れでもあるのだと思います。

「資本主義」という名前の
「富を君主にした帝国」は
ほぼ世界を征服したけれど、
版図が広がれば見えない綻びも存在するし、
その綻びから腐敗していくものなのでしょう。

何百年も前、
民衆という弱者の蜂起で
王政が崩壊したのと同じように、
資本主義の勝ち組もまた
経済的な弱者、つまり
「富帝国の底辺を生きる民衆」の
蜂起を恐れることが、
今見えている「右傾化する世界」なのだと思うのです。

そもそも、
何十億もの人間が生きる
この広大な世界において、
その人口のうちの
ごく一部の管理者で
統治できるはずがないことは
「国単位」で考えれば
自ずと分かることも、
国家をまたぐ共通の社会体制という意味合いにおいて
「社会体制が同じなら同じ国も同然」という認識を
明確にイメージできないことが
「富帝国」の手入れ不足であったのかもしれません。

いつの時代も、社会をひっくり返すのは
下層の民衆であり、
彼らは上層の人間が相対的に作り出した
いわば、「成功の副作用」なのです。

考えてみれば、
この「富帝国」のやり口は
欲や快楽を見せて、
あるいは、欲や快楽は自由の象徴であるとうそぶいて、
それを欲しがるものから
富を吸い上げるという、
実に黒く、えげつないやり口で
ほどほどに「堕落させて」
民衆を束ねているのです。

自分たちがばらまいた
欲や快楽にあぶれた人が
大挙して押し寄せてくるから、
それを排除し、
強者の論理の秩序を守るために、
あるいは、その秩序の弱体に抗うために、
彼らは右傾化していくのです。

無駄にばらまいた「堕落」が
還ってこようとしているだけなのに。
無駄にばらまいた「毒」が
自分たちの肺にまで入ってこようとしているだけなのに。

もっとも、
「富帝国」は
ローマ帝国より広かった。
そういう点ではすごかったのかもしれません。

けれど今、
「富の帝王」は民衆によって
その命を狙われています。

いつ、その喉元をかき切られるかわからない中で、
頑張ったね、ご苦労様。
散らかしたところは片付けていってね。
という話なのでしょうが、
右に倒れてミサイルで発破して片付けました、
となるのは勘弁です。