完全なる博愛

Queen of Cups・・・
博愛である事。
そもそも博愛とは何なのでしょうか。
辞書には
『全ての人を平等に愛する事』
とあります。
しかし、「献身」である事を
そこに混同してはいけません。
辞書には、献身とは
『自分を犠牲にして尽くす事』
そう書かれています。
博愛。
博愛であるには
全ての人を平等に、
自分さえも等しく
愛さなければならないのです。
「自分を犠牲にして尽くす」
そんな自分を、
何の見返りも必要とせず、
ただひたすら
「自身の身を賭して」
それを行なう事を
自ら、
全面的に愛する事が出来るのなら、
その献身は
博愛の名の下になされる、
究極的で完全で、
さらには人として
最も高尚な行いとなるでしょう。
それ故に、
博愛とは献身に先立つものである、
そう言えるわけであり、
また同時に献身とは
博愛から派生した、
ある特定の種のパターン、
もしくは、彩りの一部である
そう言えるのかもしれません。
つまり、
「博愛」というものは、
自分の身、
しいては命を賭す事さえいとわず、
そうした自分自身を完全に
愛の名の元に自己完結している、
究極の自己愛の形とも言えるのではないでしょうか。
とすると、
人はその人生において得られる
最も尊く、純粋であるものとは、
自分への愛であり、
自分を愛するためにこそ
人生はそこに用意されている
そう言ってもいいのかもしれません。
あなたは、
自分の命をなげうち犠牲になる、
そんな自分すらも完全に愛しながら
人や、何らかの物事のために
死に行く事は出来るものはありますか?
その境地にまで及んでこそ、
真の博愛を垣間みる事が出来るのですが、
それを実際に行なえる人は
この世にいったいどれだけいるのでしょうか?
もし、そのような人がいたのなら、
その人は間違いなく
聖人と呼ばれる尊い人である事でしょう。