僕のカラダに巣食う病ー本編ー

いきなり本題から入ります。
テーマ:鮎沢郁弥についてでも
ちらっとふれてはおりますが、
もう一度改めて、告白したいと思います。
僕の身体を蝕んでいる病気は
「クローン病」という病気です。
クローン人間とかは一切関係なく、
その昔、クローンという名前の医者が
こういう病気があると学会で発表した事から、
「クローン氏病」という名前がついています。
現在のところ、原因も不明で
治療法も確立されておらず、
対症療法でしのぐしかありません。
国の特定疾患(難病)に指定されている病気です。
この病気は身体のあらゆる消化器官、
上は口の中から、下はおしりの**まで、
その中でも特に小腸や大腸には
頻繁に炎症や潰瘍が出来、
潰瘍が進んで穴があいたりもします。
つねに腹痛や下痢を頻発し、
時には下血することもあります。
そうして腸管にダメージが蓄積し、
腸の傷口により
その腸の幅が狭くなったりして
腸閉塞を起こすようになると、
手術をして狭くなった部分の切除を
余儀なくされます。
実際、僕も腸閉塞を2度起こし、
2回手術をして、
小腸、大腸ともに部分的にではありますが
切除をしております。
対症療法で症状を落ち着かせるしか
対処法が無いという性格上、
とにかく腸管を休ませ、安静を保って
病気の症状が収まるのを待つしかありません。
そういうわけなので、
このクローン病に罹ったら
基本的に食事は出来ません。
生きていく上で必要なカロリーの
ほとんどを、薬で補わなくてはなりません。
また再発を何度も繰り返すので、
その際は病院に入院して
絶食しながら高カロリーの点滴を打ち、
集中的に炎症を押さえ込まなくてはなりません。
ということはつまり、
頻繁に病院の入退院を繰り返す病気である
とも言えるわけです。
そう。
この入退院を繰り返す、
実のところ食事が出来ない事よりも、
入退院を繰り返すという事の方が、
日常生活において大きな悪影響を与えるのです。
現実的な話、
この病気を告知したうえでの
就職は、よほど理解のある会社でないと
まず雇ってはくれません。
病気を隠そうにも、
月に一度は病院に行かなければならないので、
結局、病気の事は告知せざるを得ないのです。
そういう事情で
職を失うケースもあります。
実際に僕も、
精神を患う前にやっていた仕事は
いつでも首を切る事が出来る
契約社員。
まさに、ワーキングプアです。
もっとも食事をほとんどしないので、
「食べるために稼ぐ」必要は
あまり無かったりするのですが・・・。
社会がこうした病気に
理解を示さないが故に、
どうしても無職の期間が長く続き、
履歴書の職歴の欄が
空白になる人が多く、
結果的に僕のように
社会から隔絶してしまい
ひきこもってしまったり、
ニートになってしまう人も
少なくはありません。
僕自身も現在、職を失い
精神の病も患っているという事もあり、
実家で親の援助を恥ずかしくも受けながら
生活を成り立たせている状態です。
これが僕の病気の本質と、
それを受けての社会の現実です。
僕がこのクローン病に罹った時、
バンドは解散間際でした。
食事が出来ず、再発を頻繁に繰り返す
そんな病気を抱えながら、
ツアーで日本中を回るバンド活動は
もう無理だと思いました。
だから僕は、10数年前
ステージのある生活から離れていったのです。
もちろんそれだけが理由ではないのですが、
最大の理由はやはり、
この病気の再発への怖れでした。
僕がこのクローン病に罹り、
その後の10数年をどう過ごしたかは、
以前、テーマ「鮎沢郁弥につて」でお話ししたので
割愛させて頂きますが、
僕の行動、活動に大きな制限を強いられた
その大元の元凶は
やはり、このクローン病でした。
この病気が無ければ、
病気に罹る前の
健康だった頃と同じように
普通に働けたであろうし、
普通に友達付き合いも出来ただろうし、
普通に恋愛も出来たでしょう。
しかし、つねに
病気の再発への恐怖が先に立つが故に、
それらを我慢しければならなかったり、
諦めなければならなかったり、
受け入れなければならなかったり・・・、
こうして僕は
自分の人生を消極的しか
捉えられなくなっていったのです。
人生を消極的にしか捉えられないながらも、
僕は懸命に自分の居場所を探しました。
時には腹痛に耐えながら
腸閉塞を起こして口から腸液を吐きながらも、
それでも自分のアイデンティティを
保とうと必死でした。
自分の中での評価としては、
この制限された生活の中で、
最善を尽くしたつもりでいます。
それでも僕は、
どれだけがんばったところで、
病気を抱えながらも
居られる場所というものは
どこにもありませんでした。
だから僕はひきこもってしまったのです。
ひきこもりから脱し、
自分の曲をネットで配信するようになり、
契約社員ではありますが、
音楽関係の仕事も見つかり、
そこが自分の居場所と思い、
懸命に働きました。
懸命に曲を作ってはネットで配信をしてきました。
そこまで懸命に生きたにも関わらず
病気は僕を許してはくれませんでした。
再び、病気は再発し
腸閉塞をおこし、2回も手術をする事となります。
2回目の手術のあと、
僕はそれまで働かせてくれていた会社から
首を切られる事となります。
そこから先は以前に書いた通り、
精神を患って今も、治療中という状態です。
精神を患って、僕は
それまでの生き方を
見直さざるを得なくなりました。
病気のせいで消極的になっていた
人生観を見つめ直し、
何が僕の精神を
そこまで追いつめるととなったのか、
考え直す必要が出てきたのです。
精神を患ってちょうど1年経ちます。
クローン病にいたっては13年も経ちました。
僕の今後の人生、どうあるべきか
ここ1年、ずっと考え続けました。
こうやって、僕の半生を
ブログに綴る事によって
その答えを求めようと
していたようにさえ思えます。
そしてこの春(2008年)、
あるひとつの結論に至りました。

『病気が僕の行動を制限しているんじゃない。
病気を怖れる僕の心が、
自分の行動、活動を制限しているのだ。
僕は病気を言い訳にして
自分で自分を小さくしてしまっていたのだ』
ということを思うに至ったのです・・・。
もう僕は、このクローン病で
手術を2回も経験しているし、
入院する事だって僕の生活の中では
よくあることとなっています。
病気の再発なんて慣れっこになっているのです。
だったら、いっそのこと
自分の人生、もっと積極的に捉え
行動しても良いじゃないか。
再発したらしたで、
今まで経験してきたように
また入院なり手術なりすれば良いだけの事。
そう思うようになって、
僕の中で意識が変わりました。
嘘偽りの無い僕の姿、
つまり心身共に病んでいる僕というものを
これを読んでくださる
皆さんにあらかじめ知ってもらったうえで、
もう一度、自分の人生を
積極的に生きていこう、と。
だから僕は、10数年前に封印してしまった
ライブ活動というものを
再びしようと決心したのです。
悪くなったら、
またいつもの手術すれば良いだけの事。
そして何より、
僕と同じように
病気のせいで行動の制限を
余儀なくされている人たちに、
『病気が自分を制限しているのじゃない、
自分が病気を理由にして行動を制限しているのだ』
その事を、
病気によって消極的な
人生観が染み付いてしまった人に、
もう一度、
人生をポジティブに捉え、
やりたい事があるのなら
僕のようにどんどん挑戦して欲しい。
そのことを、
僕がこの身をもって
ライブ活動、音楽活動を通して
アピールしていこう、
そう考え、腹をくくったのです。
だから僕は、
かつての僕がしたように、
ライブ活動を積極的に行なって、
その事を伝え、
そして人生を
消極的に捉えざるを得なくなった人の心に
もう一度積極さが蘇るよう
僕の行動を通して、
僕のこれからの生き様を見せていこう、
そう決めたのです。
僕にもう迷いはありません。
怖れもありません。
あとはただひたすら、
僕がクローン病を患ってから
大きく迂回した人生の中で悟った
哲学や真理を
ライブや、もちろん自分の曲の中や、
そしてこのブログを通して
伝えていくだけです。
そう、
人の心の闇を
優しく照らす光のように・・・。
そして、疲れひざまずいてしまった人が
その2本の足でもう一度立ち上がり、
積極的な人生の道を歩き出す
手助けをしたい。
それが僕の天命であり、
その天命を知るために
10数年も迂回した人生を
歩み、学んできたのではないか、
そう考えるようになっていきました。
僕自身、人生の辛さは
きっと一通り体験したでしょう。
残るのは親との死別くらいのものでしょうか。
だからこそ、
どんな時に、どう救われたいのか、
それが僕には手に取るように分かる。
見かけだけの励ましではなく、
自己顕示欲を満たしたいだけの
おせっかいな善意でもなく、
ただ自分が苦しんだ分、知る事が出来た
「ともしび」を分け与える役目を
頂いた、そう思えるのです。
僕はクローン病という
腸の難病を患っているのです。
またいつ再発して、
入院するか分かったものじゃありません。
だけど、それでも僕は
歌を唄っていきたいと考えています。
僕のような心身共に病んだ人間が、
それでも生きようと、
這いつくばってでも生きようと、
懸命に「生」にしがみついて
僕が唄っている姿を通して、
誰かしらが何かしらを
思うところがあるのではないかと
そう思うからです。
それこそが、
僕が人生を
消極的にしか見られなくなった人へ
分け与える事の出来る
「ともしび」なのです。
もしその「ともしび」を
見つける事が出来たのなら、
再び立ち上がり、
その人生の道を再び歩きはじめて欲しいです。
僕はただ自分の「ともしび」を
輝かせる事しか出来ないでしょう。
再び立ち上がり、歩き出す決意が出来るのは、
あくまでも自分なのです。
自分を救えるのは自分でしかないのです。
僕の放つ「ともしび」は
もの言わぬ励まし、勇気となって、
人の心に力を分け与える事が出来ると
僕は信じています。
僕は本当にもうすぐ、
ライブ活動を始める事になるでしょう。
心身共に病に蝕まれた
ボロボロの身体での活動です。
そのボロボロの身体を突き動かすものは、
ただひとつ。
「信念」それのみです。
僕はその信念に従って、
「ともしび」を唄う人となって
ステージのある人生に
帰っていく事に決めました。
僕の行動を阻む、
自分自身が作った幻想のような
制限はもう脱ぎ捨てました。
これからの僕を見ていてください。
もしかしたら途中で行き倒れるかも知れません。
それでも僕を見ていてください。
「信念」そして「天命」という名の下に
何度でも立ち上がり、
何度でも歌を伝え続けるでしょう。
過去の僕は、
病気に負けたんじゃない。
病気の自分に負けたのです。
僕のこれからの行動が、
僕と同じように
人生を後ろ向きにしか
捉える事が出来なくなった
人たちに向けて発せられる
「ともしび」となる事を祈って、
僕の病気の事を、
包み隠さず、全てお話しさせて頂きました。
また、
この病気の事を隠して
このままブログを書き続けたとしても、
いつかどこかで、
僕の抱える病気のことを隠すための
嘘をつかなければならなくなる。
嘘に嘘が重なって、
最後にはこのブログを読んでくれる
皆さんを欺くようなブログに
なってしまう事でしょう。
僕はそれをどうしても
したくはなかったのです。
読者の皆さんと僕との間に
「誠実さ」や「正直さ」という名の糸で
繋がっていたいから、
本当に、本当に
誠実に繋がっていたいから、
包み隠さず、僕の腸の病気について
詳しく書かせて頂きました。
長い文章を読んでくれた皆さん、
本当にありがとう。
この文章の長さの分は、
僕の決意、意思、
音楽への思いの強さの表れです。
こんな僕ですが、
どうかこれからも
よろしくお願いいたします!
僕は唄う人です。
ずっとこれからも唄う人でいます。
そんな歌唄いの生き様を
ブログやライブ、音楽を通して
その心に焼き付ついて、
ほのかに照らし出される
あなたの心の「ともしび」と
なってくれれば、
僕は本当に嬉しいし、
それこそが僕の天命を全うしたことに
繋がると思うのです。
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追記:
上の本文を何度も何度も読み返しました。
この病気の事に付いて、
何度もひっぱって語りたくはないから。
一度きりで全てを伝えたかったから。
言い残した事は無いか、
たとえ一文字でも書き忘れた事は無いか、
何度も何度も読み返しました。
何度も読み返して、
何か違うなと思った部分は
何度も何カ所も書き直したりしました。
できるだけ正確であるように。
できるだけ正直であるように。
上の本文は僕の魂そのものです。
この本文こそが正に僕自身です。
僕という人間が文字になったとしたら
こういう文章になる、
そう言っても過言ではないかもしれません。
とにかく、嘘はつきたくなかったし、
隠し事も無しにしたかったです。
だからこの文章は、
僕の魂そのものになりました。