日曜の夜に哲学はいかが?

Seven of Cups・・・
さてと、
寝る前に飲む大量の
睡眠薬も飲んで、
そろそろ効きはじめてきました。
身体がどろ~んとしてきています。
今日は練習もせず、
実はダイエットの一環の
ウォーキングもせず、
ただただぼーっとして
過ごしました。
精神を病んでから、
何も考えない、
つまり「無我で在る」という
スキルを身につけました。
「無我」で在り、
時間の流れに乗って
ただ存在するのみ。
僕という存在は、
個としての僕ではなく、
ぼーっと無我の境地で居る
その空間、瞬間、そしてこの世界そのもの。
つまり僕という存在は、
「無我で在る」という現象の顕われに過ぎない。
もっと具体的に何かに喩えるなら、
例えばリンゴ。
僕は当然リンゴではありません。
かといって、僕は
ひとりの個としての僕でもないのです。
では、僕とは一体何か?
僕はリンゴを見つめる。
僕という存在は、
僕という個がリンゴを見つめているという
「現象、事象」そのものであり、
ただただ、
そのような「現象、事象」であることに
意識を同化することによって、
僕という個としての経験が
顕在する存在となり得、
人はそれを「自分」と称する・・・。
結局のところ、
この世というのは
人それぞれ、「個々の体験」という
事象の集積によって構成される、
またひとまわり大きな
現象の現れのひとつであるのですよね。
極力内容の無い記事を書く
土日の僕のブログではありますが、
たまにはそんな哲学を模索する
日曜日の夜なんてものも
あっていいのかなと思って、
ちょっと哲学してみました。
この言葉を休日最後の言葉として、
あなたに送ります。
『あなたは、あなた自身ではありません。
あなたという存在は、
今、僕の意識の表れであるブログを読んでいる
という現象そのもの。
そして僕も僕ではなく、
この記事を書いている現象そのもの。
つまるところ、
この世というものは
こうした個々の体験という
現象、事象によって
構成され、また構築されている
「この世」という現象の表れの
ひとつに過ぎないのです。』
そしてそれを人々は
「人生」もしくは「生活」
そんな名前で呼んで、
普段それを意識する事無く
「それで在り」続けているのです。