渇望のロジック

Ten of Wands・・・
僕が
ひきこもりに
なっていた日々というのは、
本当に決して満たされる事の無い
渇望と葛藤で
がんじがらめになって
身動き一つとれず、
そしてまた、
身動き一つとれない事
それ自体が
僕の大きな苦しみとなって
のしかかってくる、
そんな日々でした。
本当に辛かった時期でした。
ひきこもっている自分が今、
どれだけ無駄な時間を過ごしているのだろう、
そう思えて辛くて仕方がなかったのです。
でも、あの時の辛さは
今になって思えば、
これからの僕の生き方にとって、
体験しておかなければいけない、
ある種のレッスン、カリキュラム
そんなものだったような気がするのです。
何においても満たされず
行き場を無くし、
逃げ込む場所さえも無くし、
徹底的になまでに完全な
八方塞がりの状況において
悟った事があるのです。
ひょっとしたら、
それを悟るために僕は
ひきこもらなければ
ならなかったのかもしれません。
その、ひきこもりを通して
得た気づきとは、
「人間、何かを欲するという事は
全て苦しみへと繋がり、
苦しむという事は
何かを欲する状態である」

という事でした。
裏を返せば、
全ての欲を超越して
何も欲するものが無くなった状態の時、
この時こそ、真の至福の時となるという事です。
なぜなら単純に、
何も欲さないという事は、
何においても
満たされている状態にあるからです。
さらに簡単に言ってしまえば、
「人は何かを欲し続ける限り満たされ得ない」
ということです。
では、満たされない状態から
抜け出すには
どうしたらいいのか?
多少、乱暴な言い方になるかもしれませんが、
結局はその時、その時の
自分の心の状態をよく知り、
受け入れ、それを求め、
手に入れる事が出来なくとも
それは、
今の自分にとって必要がないから
手に入らないだけで、
全てが今ここに、
いつもと変わりなく存在している
という事に気付くしかないのです。
人間というのは
実に身勝手な思考を持っていて、
自分が持ち合わせているものには
全く意識を向けようとせず、
自分に無いものばかりに
意識を向けて、
やれ、あれが無いだの、
そら、これが無いだの、
足らないものばかりに
ついつい目を向けたがります。
今、欲しているものを
持ち合わせていないのなら、
それはただ、
『今の段階では必要がないだけ』の事で、
今という瞬間に必要なものは
ちゃんと全部揃っている、
そう言う発想が
なかなか出来ないものなのですよね。
つまり、何かを持っていない自分を
持っていなくて丁度いいのだと
受け入れ、認めてやる事、
これが出来るか出来ないかでは、
人生の景色がまるっきり違うものになります。
せっかくこの世に生を受け、
この人生を生きる中で
自分に無いものばかりを数えるくらいなら、
同じ数えるでも、
自分が持っているものを数えて
生きていけた方が、
よっぽど人生を実りあるものに
していけるように思えるのです。
あなたの人生において、
あなた自身は
無いものを数えていますか?
それとも
持っているものを数えていますか?