「自由の刑」執行中につき・・・

さてと、緩い週末の夜は・・・っと。
特に、何も書くネタが無いんですが・・・。
あ、そうそう。
ネタが無くなったときの
対策を考えなくちゃな~・・・。
これといって特に、人様に
おもしろおかしく
話が出来るような
日常を送ってないから、
逆に
内容の無い記事を書くのって
意外と難しいものなんだなぁって、
最近そう思うんですよね。
何を好きに書いてもいい。
そう。これこそ
哲学者サルトルの言うところの
「自由の刑」
なんですよね。
平日のように
特定のテーマに沿って
ブログを書いている方が
実は楽で、
土日、祝日のように
ネタは何でもあり、
しかもそこに、
意義ある含みを持たせない、
つまり平たく言うところの
中身が一切無い
駄文をつづること、
実はこれ、本当に難しいです。
皆さんも想像してください。
僕は王様です。
平民はあなた方です。
平民は王の下す命令を
必ず実行しなくてはいけない。
では、皆さんに命令します。
「これより、一切の自由を与えよう。
ただし、その得た自由をもって
意味、意義のある行動は一切してはならない!」
人の行動、行為というのは、
ほとんどの場合、
そこに意味や意義があるものです。
逆に意味や異議のない行動を
自由に、思うようにしてみろ、
そう言われたところで、
何をしていいか分からなくなりますよね。
そう。
人というのは
何かしらの秩序や決めごとが無いと
何をしていいか分からなくなる
生き物なのです。
なぜなら、人は考えるとによってのみ
人と特定して
定義されるべきものだから・・・。
それ故に人は考える。
それ故に僕は模索する。
多くの人にとって、
意味や意義のある言動、立ち居振る舞いとは、
当たり前のように、
それこそ自身の理念でもあるかのように存在し、
もっとも自身にとって自由である時というのは、
逆に不安になってしまうものなのです。
人はものを考える生き物であるが故に、
自由で、ごく自然な事よりも、
不自然で、何らかの秩序がある事の方が
気が楽なのです。
なぜなら、
自らを縛るそれに依存して、
自身の言動に責任を持たずに済むからです。
そしてまた、それは
深く模索していけばいくほどに、
自由というものは
もっとも不自由であるという
パラドックス、アンビバレンスを
生み出すものであったりするのです。
おっと、ここまで語ってしまっては
もう、完全にルール違反ですよね。
何をしてもいいのに、
ルール違反をしてしまう。
ここが人の行動の
面白みなんですが、
今日は土曜日だから、
これ以上突っ込んで語る事は
やめておきます。
ただ、ひとつだけ
皆さんに伝えておきます。
実は自由ほど、非常に不自由なものは
無いという事を・・・。