模索の代償#7

ララ・ルミナスとして
ネット上で音楽を配信していた
3年間という時期というのは、
僕にとって試行錯誤を繰り返しつつ、
齢30を超えてからはじめた
ボーカリストとしての技術を磨く時期だったと、
今になって振り返るとそう思えます。
僕のブログで何度も出てくる
音楽SNSサイト、YoroZoo。
ここでブログもはじめました。
自身が書くブログの記事の中では、
「自分はプロミュージシャンになる夢は諦めましたよ!」
なんて言ってはいたものの、
本当のところは
プロミュージシャンを目指していました。
プロのシンガーソングライターを
目指していなければ、そこまで
毎日、毎日、歌の練習をしたり、
こつこつと、こまめに曲を作ったりは
しなかったでしょう。
かつての挫折をバネにして
リベンジしたかったのです。
今度こそ
変に天狗にならず、
真摯に音楽に取り組み
音楽業界に認めてもらおうと・・・。
今思えば、その気持ちひとつだけで
ララ・ルミナスというアイコンを
演じ続けていたように思えます。
しかし、
広大なインターネットという仮想空間の中で、
順風満帆な
サクセスストーリーを描くという野望など、
ただ虚しいだけの絵空事でした。
ネット上のみで音楽活動をし、
音楽業界に認めてもらう、
いや認めさせることは
決して容易く甘い事ではなかったのです。
僕はネットで同じように音楽を配信している
無数のアーティストさんの中の
ひとりに過ぎず、
また僕の音楽性をもって
多くの人の耳を惹き付けるには、
あまりにもネットの世界での音楽活動は
厳しいものだったのです。
ネットでの音楽活動では、
生々しい声援は聞こえてきません。
ただ試聴数やダウンロード数の数字が
カウントされるだけの世界・・・。
ただそれだけで、
事の事態は何一つ進む事はありませんでした。
いつしか僕は、
「心の闇に苦しむ人を照らし出す歌を唄う人」
でありたいと考えていた、
はじめにララ・ルミナスが
誕生したときの動機など
すっかり忘れてしまっていました。
ただ、ひたすら
どうすればプロになれるのか、
それだけを考えながら曲を作っては
ネットで配信してという、
実りのない繰り返しを延々と続けるだけでした。
初心をすっかり忘れ、
代わり映えのしない
お決まりの作業のサイクルを
繰り返していたことが、
じわりじわりと、
ララ・ルミナスを破綻へと
追い込んでいく事になっていくのです。
つづく・・・。