鮎沢郁弥の作曲法

え~、よく考えたら
今日って金曜日なんですよね。
僕のブログは基本的に土日、祝日休み
ということにさせてもらってるので、
これが今週最後の記事になるんですよね。
↓の記事の「慎みと思慮と慈悲と」の3回シリーズは
来週にまとめてやりたいと思います。
その方がキリがいいんで・・・。
というわけで、
今日の僕のブログ、夕刊のネタは何にしよう・・・。
あ、そうそう。
僕の曲作り、
つまり作曲法のお話しでもしましょうか。
まず僕の場合、
ギターや鍵盤を弄りながらとか、
いきなり五線紙に向かってペンを走らせるとか、
そう言うタイプじゃないです。
そういう曲の作り方はしません。
数日前の記事でも言ったように、
僕が追い求めている音楽というのは、
いつかどこかで体験した光る音を再現する事なんです。
だからいつも、それを探しています。
そう・・・、なんていうかな・・・。
喩えるなら、ラジオのチューニング。
ラジオ局の周波数に合わせると、
そこから、その局の番組が流れてきますよね。
あんな感じで、
探したい音に頭のチューニングを合わせるんですよ。
すると見えてくるんですよ。
その曲がキラキラとした光となって。
そう。ちょうどオーロラみたいなのが
僕のおでこの上、50cmくらいのところに、
曲によってそれぞれ、
いろいろな色を持った光が見えるんですよ。
そして、その光は音を発してるんです。
その光の音こそが、今ネットで聴く事が出来る
僕の曲の原型なんですよね。
でもその光自体は、ただの音の凝縮であって
決して音楽ではないんです。
光の音楽は、一瞬の煌めきという瞬間に
圧縮されているんです。
たとえそれが、5分の曲であっても、
一瞬の煌めきのなかにそれが凝縮されているんです。
僕はそのオーロラのような
キラキラした光の音を、何オクターブも下げて
引き延ばす作業をしてるんですよね。
ちょうど、
まんまるに纏められた毛糸の玉をほぐして
一本の長い糸の線にするような感じで。
で、最終的に引き延ばされた光の煌めきを
パソコンに音楽として記録して、
いわゆるカラオケの状態にします。
もちろん、メロディは出来ていますが、
後々、この記録したものを
歌の練習用のカラオケにするために
あえて、歌メロまではパソコンに入れません。
歌詞に関しては、
光の音を引き延ばして
光から音に変換する行程の中で、
その曲のディテールがはっきりしていくのに比例して、
この音楽には、こういう内容の歌詞がついているんだよ
という感じで、
曲がどんどん自己主張をしはじめるんです。
で、その自己主張に頭のチャンネルを合わせると、
言葉や文章が出てくるわけです。
こうして
そのカラオケ状態の曲を聴きながら、
その曲が主張してくる歌詞の内容を
歌メロの譜割りにあわせて充てていくわけですね。
ところで
話しは少し逸れますが、
僕がこうして書いているブログ。
これも頭をブログのネタというチャンネルに
頭のチューニングを合わせて、
なかばオートマチックで書いてます。
まあ、それはさておき・・・。
ともかく
これで曲は完成。
だけど、まだこの段階ではその曲も
ただの青写真にしか過ぎません。
歌とギター、ベースは僕の実際の演奏ですので、
この曲を公開するぞ、と決めた時から
やはり練習をしなければいけません。
一人でバンド一組分をやるわけですから、
どうしても実際に
本番のレコーディングができるようになるまで
1~2ヶ月、特に歌を中心に
れそぞれのパートの練習が必要になるのです。
こうして練習をしつつ、
いったん仮録りの録音を経て
本番のレコーディングを行ない、
最終的にパソコン上でミックスをして、
これでようやく完成となるわけです。
まあだいたい、曲の青写真を作るところから
公開までの期間に
だいだい、のべにして3ヶ月くらい要しますでしょうか。
こうやって僕が
自分の実力で出来る範囲内で
丹誠を込めて作った「歌」たちは、
まさに自分の子供のようなものです。
授かり物です。
頂いた物です。
イギリスのシンガーソングライター
ケイト・ブッシュがかつて、
「私は子宮で曲を作る。」
と言いました。
僕は男なので、
その言葉の真意をどこまで
理解しているかは分かりませんが、
それでもなんとなく
彼女が言わんとしている事が
分かるような気がします。
そうなんですよね。
「歌」って作っていく行程で
どんどん育っていって、
最終的に世に出た時には
もう立派な
一つの人格になってるんですよね。
以前の僕の記事で、
音を何オクターブも高く上げていくと
「いのち」になるのかもしれない、と
そう言ったことと、
ケイト・ブッシュの名言は
まったく意味合いの違うものでは
ないんじゃないかと思うのです。
これが僕の作曲法。
というより、
根本的に自分が作った「もの」という
認識はありません。
僕が公開している曲たちは、
僕を仲介役として選んで託された
頂き物だと思っているというのが
正直なところです。