「あゆ」の源流をたどる

今日の鮎沢ブログ、夕刊は
僕の音楽のルーツのお話でもしましょうか。
えー、まず知ってる人は知ってる事なのですが、
僕はもともとギタリストです。
10年ちょっと前には、
インディーズでCDを2枚ほど出させて頂き、
全国各地、ツアーも回らせて頂いていました。
もう、せっかくだから
ぶっちゃけますね。
ええ、そうですよ。
今で言うヴィジュアル系のバンドやってましたよ(笑)
まだヴィジュアル系なんて言葉が
生まれたか、生まれてなかったか
そんな時代の頃ですわ。
まあ、うちのバンドは人気無かったですけどね(笑)
当時、ギタリストだった僕は
基本へヴィロック系のギターを弾いていました。
そのルーツはといえば、
いわゆる、北欧メタルとかジャーマンメタル
とか言われる、様式美系の音楽ばかり聴いていましたし、
実際、それ系のギターを弾いていましたね。
まあ今じゃ、すっかりギターの音も丸くなってしまいましたが、
当時は爆音ギターを弾いていましたね。
その僕が在籍していたバンドは解散する事になります。
まあ、僕が病気になったりだとか、
バンド仲が非常に険悪だったりだとか、
解散の方向へ向かう条件は全て整っていましたから
解散するべくして解散したと言ってもいいでしょうね。
当時は、以前にあったビジュアルバンドブームが
下火になりつつあった頃で、
バンドをしている事自体が
時代遅れに感じていた事もあったり、
正直なところ、
僕の中でもバンドの中でギターを弾いている自分に
無意識的に違和感を感じていたってのもありで、
バンド解散後はひとりで打ち込み、
いわゆるパソコンを使った作曲に没頭しはじめます。
この頃くらいから、
いろんなジャンルの音楽を
どん欲に吸収していきはじめました。
もともと、ヘヴィロックの他に
フレンチポップが好きだった事もあったので、
まずはフレンチポップを軸に
あらゆる音楽のCDを買い漁りましたね。
フレンチですとやっぱり、
セルジュ・ゲンスブールとか、
ミレーヌ・ファルメールとか
バネッサ・パラディだとか、
ジェーン・バーキン、
フランソワーズ・アルディとか・・・、
ひとつひとつ挙げていったらきりがないです。
ちょうどその頃、フレンチポップによく似た雰囲気の
スウェディッスポップなんてのも流行っていたので、
その辺のも一通り聴いてましたね。
ほら、
カーディガンズとか、クラウドベリージャムとか、
パインフォレストクランチとかね。
このあたりも、がっつり聴き込んでました。
今の僕の音楽性の基礎はやっぱり、
それらフレンチポップや
スウェディッシュポップなんですよね。
じゃあ、ヘヴィロックをやっていた頃の
自分は無駄だったのかと言ったら、
それも違いますね。
むしろ、ヘヴィロックをやっていた事で
ギターのテクニックを一通り学べたのは大きいですし、
結局のところ、作曲の方法論だって
ヘヴィロックばかりを聴いていた頃に
学んだわけですから、
いわば、
ヘヴィロックという骨格に
フレンチやスウェディッシュのポップスという
肉をまとっている、
それが僕の音楽なんだと思います。
その後、現在では
ジャズや、ボッサ(ボサノバじゃないよ)とか
クラブジャズ系の音を聴く事が多いですね。
ニコラ・コンテとかクープとか大好きですし。
と、まあ
ざっと僕の音楽のルーツを足早に
追ってみたわけですが、
何より意外なのは、
今、僕が歌唄いをやっているってこと。
もともとがギタリストなので、
歌を唄うという発想が無かったですからね。
でも、バンド解散間際に感じていた
ギタリストとしての違和感は何だったのか、
それを今、考えてみるに
やっぱり僕は、歌を唄いたかったのかもしれません。
だって僕、今唄うことが大好きですもん。
ギタリストである以前に、
ヴォーカリストですとはっきり言えますもん。
そして、
根本的にパフォーマーでありたいんですよね。
唄う思想家、唄う哲学者
こんな肩書きで呼ばれたい鮎沢郁弥でした。
いつか、鮎沢郁弥として
ネット上だけでなく、
リアルの世界でライブがしてみたいです。
もちろん歌唄いとしてね。
絶対やってやるっ!!!!