ゲンスブールに宛てた手紙〜a quoi bon?

親愛なるセルジュ・ゲンスブール殿
Cheri, l’aquoiboniste.
僕が20代の頃、
あなたは僕のあこがれでした。
殺伐として退廃的な毎日を送っていた僕と、
あなたのその生き様がだぶって見えたのでしょう。
僕もあなたのようにシニカルな目線で
世の中を眺めていました。
そしていつか、
あなたの唄った「リラの切符売り」の
主人公ように、
代わり映えしない毎日に
自らの手で終止符を打つことが
僕の秩序の中での美徳であるとさえ思っていました。
しかし今
あなたという人生に想いを馳せた時、
あなたのその冷笑的で、
一見して無秩序にさえ見える
デカダンシズムの裏に潜む「憂い」に気付いたのです。
あなたの目から見る世界は、
実は逆説的に美しいものだったのではないかと
今、そう思えるのです。
しかし
そのあなたの描く美しい理想郷は
そこにはなかった・・・。
だからこそ、「今のそれ」を
穢(けが)すことによって、
理想郷をなんとかして
それこそ
もがくかのように観ようとしていた・・・。
僕にはそう思えてならないのです。
あなたの作品には、
お世辞にも上品なものが多かったとは言えない。
だけど、
時折かいま見せたその映像や音の中に
あなたが追い求めていた
理想郷の美があちこちに散りばめられていたことを
僕は知っています。
所詮この世界はこんなもの。
理想を追い求めれば皮肉の一つも言いたくなる。
それこそ
「à quoi bon ?」って。
それがあなたの本音だったのではないでしょうか。
でも親愛なるゲンスブールよ。
僕も齢30を越え、
少しあなたに対する見方が変わってきました。
あなたが
「緩やかな自殺」といって
止めようとしなかった煙草も
僕は止めました。
人生は美しい。
美しくしようとするならば
美しい。
穢(けが)す事だけでは
理想郷は美しくはならない。
その事に気付いたのです。
その点、ゲンスブールよ。
あなたは不器用だったのでしょう。
あなたのシャイな一面にも僕は気付いています。
それだけに、
多分やり方が悪かったのではないかと思います。
もっと人生を肯定する事によって、
あなたの望む美しい理想郷を
作り出す事が出来たはずなのに、
あなたは否定する事によって
理想郷を観ようとした。
本当は誰よりも繊細で、
誰よりも孤独で、
誰よりも人生を愛していた事を僕は知っています。
あなたが人生を愛していなかったのなら、
あなたが最愛の人に送ったアルバム
あの「Baby Alone In Babylone」のような
傑作を生み出す事はなかったと思うのです。
あのアルバムには、
あなたの中にあったであろう
繊細な「愛」と「美」が
そこかしこに満ちています。
親愛なるセルジュ・ゲンスブールよ。
あなたは誰よりも繊細で
誰よりも孤独で、
そして実は、
誰よりも人生の美しさを
知っていた人だったのではないでしょうか。
僕の人生観に多大な影響を与えた
あなたに僕は言いたい。
あなたにこそ言いたい。
僕はあなたが選んだ道とは逆の方向へ、
世の美しさを
肯定する事で顕現する表現者として
これからの創作人生を歩んでいこうと思っているのです。
だからこれであなたとはお別れです。
一生、共にあればこそのお別れです。
さようなら。
そしてこれからもよろしく。
というわけなので、
à quoi bon ?(それがなんなのさ)