模索の代償#3

ヴィジュアルバンドのブームは
とっくに過ぎていました。
ヴィジュアルバンドブームを
コアで支えていた本当のファン層は
ビジュアルバンドに飽きはじめ、
ひとり、またひとりと
ヴィジュアルバンドのファンを卒業していきました。
しかし、皮肉な事に
世間一般ではヴィジュアルバンドは
まさに花盛り。
次から次へと
ヴィジュアルバンドが
メジャーデビューしていきました。
僕は辛かった。
自分もそのデビュー組に
必ず入れるものだと思い込んでいましたから。
よく知る先輩バンドだけならまだしも、
ほぼ同期で対バンでライブをしたあのバンドも、
後輩で、ローディーをやっていたあの子のバンドも、
みんなメジャーデビューを果たし、
TVの音楽番組で活躍している姿を見るのが
本当に、本当に辛くてたまりませんでした。
余談ですが、
その時の悔しい思いをした経験を歌にしたのが、
拙作の「パレードが来るよ」です。
今の言葉で言うなら、
僕はまさに「負け組」側の人間になったのです。
その時、僕もあと数年もすれば
齢30歳にもなろうという年齢になっていました。
ずっとくすぶったまま、
報われることのない音楽ばかりを作っていました。
いろんな仕事も転々としました。
どこにも僕の居場所はありませんでした。
結局僕が行き着くところは
音楽のある場所しかなかったのです。
そんなある日、僕は髪の毛を染めました。
バンドをやっていた頃と同じように、
真っ赤な色に・・・。
せめて格好だけでも
バンドをやっていた頃と同じすれば、
僕の輝きはしなかったけれど、
ひたすら懸命に心を注いできた
自分のバンド時代と繋がっていられる、
そう思って髪の毛を真っ赤に染めたのです。
そうして
必死に過去の自分にしがみついていたのです。
つづく・・・。