模索の代償#4

僕は髪の色を真っ赤に染めました。
深紅の髪の毛。
僕がバンドをやっていた頃の
トレードマークだった深紅の髪の毛。
当時はお尻の下あたりまであった
長い髪は、それにくれべれば
ずいぶん短くなってしまったけれど、
あの当時と同じように
僕は深紅に髪を染めたのです。
同居している両親は、
齢30近くにもなって定職に就かず
髪の毛を真っ赤に染めた僕を叱りました。
そして僕の心に無遠慮に突き刺してくる
叱りの、ある言葉の一つが、
崩壊寸前にあった僕の心を
完全に粉々にうち砕く
最後のひと突きとなりました。
今、思い返してみれば
両親の立場に立って考えるならば、
当然の事を言っていたと思うし、
両親の僕に対する腹に据えかねた感情が
一気に吹き出して出てきた
言葉の「あや」だったんだろうとは、
想像もつきます。
しかし当時の僕の心を突き刺した
その手痛い言葉は、
僕の両親は僕の味方ではない事を
悟らせるのに十分でした。
こうして僕の心は
完全にバラバラに・・・、
かつてのアメリカ、
ワールドトレードセンタービルの
テロによる崩壊みたいに、
がらがらと音を立てながら
破れ、
ひび割れ、
壊れ、
さらにその破片がさらに
僕の心の核に突き刺さり、
胸はねじ込められる様に締め付けられ、
最終的に僕は
引き蘢りました。
どこにも居場所のない僕は、
音楽はおろか、
引き蘢る事でしか
自己表現が出来ない人間になってしまったのです。
真っ暗な部屋で、
それまでの友人関係さえも断ち、
ひとり部屋で悶々ともがきながら
引き蘢ったのです。
つづく・・・。