タブレットは大きいスマホのままでは廃れる

今、タブレット端末の売り上げが
芳しくないと言われています。

それはスマホの画面が
大型化してきていることもさることながら、
なによりその存在が中途半端である
ということが一番なのだろうと思われます。

もちろん、タブレットが出始めの頃は
物珍しさから手に入れる人も
いたでしょうが(自分もその一人)、
多くの人はその使い道が明確に想定できていないか、
あるいは想定した結果、
「必要ないもの」であると評価を下したのでしょう。

実際、僕の場合iPadはライブで使ったりしましたが、
こういう何かしらの「明確な目的、条件」がなければ
出番のない機器だと僕自身も感じます。

それでもiPadのメーカーであるAppleは、
iPadは楽観視していると言っています。
まあ、これは経営戦略上の言葉とも
取れなくはないですが、
良いように理解すれば、
AppleもiPadをキワモノデバイスとして
発信しているわけではなく、
もっと将来を見据えた基盤として
今のうちからそのブランドを構築しているのだろうと
感じなくもないです。

今のiPhoneの勢いは、
正直な話「流行り物の勢い」でしょう。
携帯電話という分野は
その買い替えサイクルのスパン上
流行り廃りの新陳代謝も早いです。

現在のスマートホンと呼ばれる物自体も、
いつまで主流でいられるか
怪しいものがあるのも事実です。
何かしら新しい
携帯電話のオペレーティングシステムが現れ、
それが消費者の心をつかむことができれば、
第二のiPhoneが現れるでしょう。

いつか、iPhoneやiOSがが廃れた時、
iPadの存在感が問われるのだろうと思います。

巨大なiPhoneとして一緒に廃れるか、
あるいは、デバイスの一分野として
アイデンティティを確立しているか。

そしておそらく、
Appleもそういう時代が到来した時の
iPadの立ち位置を既に想定しているだろうと思います。

とすれば、徹底したブランドとしての
アイデンティティを温存さえしていれば、
中途半端なタブレットと言われても
生き残っていけるだろうと思われます。

もちろん、そのためには
今のタブレットといって観念付けられている
「大きいスマホ」という位置から
脱しなければならないのではないかとも
思えなくもないです。