人の毒となるもの

思うに今の時代、
ここまで科学技術が発達した世というものは、
逆に人を堕落させていると思えます。
これはもう僕のブログでは
何度も言っている内容です。

現実、生活の中に
科学技術の賜物、つまり
便利な道具が人の生活の中で
広く利用されるようになって
人はどうなったかといえば、
心身ともに脆弱になったのだと言えるでしょう。

この社会では僕を含めた
ほとんどの人が
大きな勘違いをしています。

人を健やかに育てられる人や
穀物を大切に育てられる人より、
難しい方程式や原理を知る人の方が
偉いのだという勘違いです。

前述の通り、
科学技術がかえって人を
弱体化させているものであるとすれば、
その価値観はまったくもって逆転しているのでしょう。

事実、現実として
こうした科学技術の賜物に
依存せざるを得ない世の中になってしまった以上
もう引き返せない部分も多くあるのですが、
やはりどう考えても
このような賜物は
人類にとって有益なものとは思えないのです。

いや、もしかすると
科学技術は悪の本質ではないのでしょう。
本来、科学技術というのは
人が豊かに暮らせるための叡智であるはずなのだから。

本当に悪なのは、
こういう叡智を利用して
利益を得て、人を縛り、さらなる競争に駆り立てる
この社会システムなのだと言えると思います。

別に、都市伝説的に語られる
俗に言う陰謀論を唱えるつもりは毛頭ありません。

しかし、この今の社会というのは
人を人でなくさせる
そういう社会であると感じずにいられないのです。
人を豊かにする叡智から
副次的に得られる刹那的な「楽」に惑わされ、
それを幸福と信じ込んで、
人は今どれほど貧しくなったというのでしょう。

とりあえずすぐに得られる
あらゆる「楽」は実現できるようになったというのに、
人の心からは苦しみや憎しみ、妬みや悲しみは
消えないままに、
貧困は未だ存在し、
病気も根絶できない。

何が人の心を癒すというのでしょう。
癒されないまま生涯を終えるのが
人の人生なのでしょうか。

「人の幸せ」という「解」を
この世にいったい
どれだけの人が求めようとしているのか。
人類にとって今一番必要な「問い」と「解」は
ここにあると思うのです。
ここの「解」が不在のまま
いくら難しい論理が開発されても、
それは結局、社会の維持という名目で
人を縛る道具に使われてしまうのです。