QOM(クオリティ・オブ・メンタル)

QOL(クオリティ・オブ・ライフ)
という言葉があります。

これは読んで字の如し、
「生活の質」を指す言葉です。

特に医療の分野では
この「QOL」という言葉は
「健康状態とそれに伴う生活の質」
という意味合いで頻繁に出てきます。

簡単に言えば、
まったくの健康体で、
快食、快眠、快便、
悩みもなく、毎日を楽しく
朗らかに過ごしている人というのは、
QOLで言えばそれこそ
マックスの状態にある人と言えるでしょう。

逆に、
心身ともに病んで、
何かしたくてもそれが叶わず、
食事もろくに喉を通らず
ベッドで独り寝たきりの状態の人というのは
QOLは相当低いといえます。

そういう尺度として
QOLがあるのですが、
この概念を延長するように
たとえば、
「死の質(クオリティ・オブ・デス)」という
概念を提唱する人もいます。

この概念は充分成立するというか、
QOLを考える上で、相対的に
QODについても考えられるべき
指標の一つであると思います。

また、僕自身が考えるのは
そうした物理的、肉体的条件としての
生活の質、あるいは臨終の質というものを
包括する指標として、
「精神の質(クオリティ・オブ・メンタル)』という
概念があってもいいのではないかと考えるのです。

たとえば、巨万の富を得てもなお
どこか孤独を感じる人であれば、
QOMの低い人生と評価されるであろうし、
これもまた逆に、
貧しくとも、また病んでいてもなお、
常に心が平安であり続けれるのであれば、
その人のQOMは高いと言えるでしょう。

人の人生、生まれてから死ぬまでの
「生の期間」において嫌が応にも
見せつけられる、
富に関することや、健康に関すること、
あるいはそうした実質的なものを超えた
人同士、人間関係の問題など、
あらゆる事柄について、
やはりQOLなどに先立つものとして
QOMというものが高まっていないと、
そこから派生する
QOL(クオリティオブライフ)あるいは
QOD(クオリティオブデス)も
高めることができないのだろうと思われます。

QOM(クオリティ・オブ・メンタル)というのは、
特殊であったり、極限的な
条件下にある人に対して、
維持的対処として補完するものではありません。

健やかなる人も病める人も、
富む人から貧しい人まで、
万人が、各個に模索しなければならない概念です。

この部分を高めることによって
おそらく自ずと
QOL、QODという概念のステータスも
上がっていくのだろうと思います。