Madonna – Rebel Heart(マドンナのアルバムは終盤が肝)

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お昼に紹介したプロディジーより
ちょっと前にマドンナの新作のアルバムが
発表されました。

またこれも、安定のマドンナクオリティで
良作だったと僕は思います。

マドンナの作品のどの辺りが
「安定」なのかという話なのですが、
マドンナは少なくとも90年代以降、
顕著に感じられる(80年代を僕が知らないだけか?)
「最新、最先端のエレクトロミュージック」から
3〜4歩遅れて、少し一般の人にも
理解できる辺りまでこなれてきたサウンドを、
時代に合わせたポピュリズムに融合させるという手法は、
もはやマドンナ様式と言っても過言ではないのかもしれません。

あまり僕は詳しく知らないので
なんとも言い切れませんが、
プロデューサーに関しては
別の人だったり同じ人だったり、
その都度いろいろな人が起用されるのですが、
これらをディレクションする
常にいつも同じ第三者でもいるのでしょうか?

あるいはマドンナ自身が
このディレクションをしているのかもしれませんが、
そこまで僕自身はよくわかりません。
しかし、有能なブレインが裏にいるのは
間違い無いと感じます。

では、前述のマドンナ様式とは
どういったものかというと、
これがまた巧妙に計算された構成にあるのです。
まあだいたい、マドンナを聴くような人の
およそ9割は音楽的なことに深くタッチしない
ライトな層だと思われます。
そしてこういうライト層というのは
マドンナに限らずどんなアルバムを聴いても、
よほどツボにはまらない限り
20〜30分くらいで飽きて集中力がなくなり、
途中で再生を止めてしまう、そういう層です。

マドンナのアルバムは常に、
このライト層が耳を傾けていられる
30分くらいまでに、
キャッチーで分かりやすい、
悪く言えば出涸らしの陳腐な感じの楽曲を
立て続けに繰り出してきます。

そして終盤、おそらくコアに聴く人が
「もうそろそろ、これ見よがしな安っぽさが鼻に付くな」
と感じ始めるあたりから、
コア層を唸らせる楽曲をぶつけてきて
最後までぶっとばす。

結果的に、
途中で聴くのをやめたライト層も
最後までがっつり聴いたコア層も
マドンナのアルバムに満足するという
まさに確信犯。
この構成を考えた人もすごいですが、
これを常に一定のクオリティを保って
作れるプロダクション力にも脱帽です。