人型ロボットは所詮ファンタジー

日本人はロボットについて
「人型である必要性」という
呪縛に縛られていると感じます。

まあそれはきっと、
漫画やアニメの影響が大きいのだと思われますが、
ヒトとロボットの間に
それこそ有機的、感情的な
関係構造が構築できるようになったとすれば、
それはそれで、地味に薄気味の悪いことでもあります。

もっとも今の日本人、
ロボットみたいな人が多いですから
本物のロボットとは馬が合って
うまくやっていけるかもしれませんが、
それはあくまで日本の話であって、
他の国かの人からすれば、
ロボットと人間が
「現実に友情を深め合う」光景というものは
珍妙極まりない
シュールな光景なのだろうと思うのです。

人間と同様のロボットが
社会の中で主体となってしまったら、
社会という概念の本質の部分から
根こそぎヒトが必要なくなってしまうからです。
ヒトというものは
当たり前ではありますが、
工業製品と同等のものとして評価してしまえば
不良品だらけだし、
効率は悪いし、
その維持にもとってつもなく費用がかかり、
また環境にも悪影響を及ぼす存在なのです。
そういう点において
人型ロボットはあらゆる面において
人間に勝ってしまうのです。
よって、ヒトは存在する必要性を失ってしまう。

人型ロボットというものは、
人間の内的世界の
ファンタジーの中のみに存在していればいいと考えます。

しかしながら、
全く不要かといえば
あながちそうでもないかなとも
思える可能性も示唆することができます。

たとえばこの先、日本は
どんどん高齢化社会になっていき、
それに比例するように
介護が必要な場面も増えていきます。
また現在でも、高齢でなくとも
障害などを持ち介護が必要な人もいます。

こういう現場では人手不足だと言いますし、
また実際問題として現実に、
オムツを変えたりだとか、
汚れものを洗ったりだとか、
そうしたデリケートな部分を
生身の他人に施されることを
苦痛に感じる人もいるでしょう。

こうした部分は
無機質な人型のロボットが
人間の代わりにやってくれると、
介護、介助を受ける側も
精神的な苦痛は少ないだろうし、
それをする側もまた
負担が減ると思われます。

そういう場面で
人型のロボットの有用性は
考えられますが、
果たして本当に有用かといえば
否と言わざるを得ません。
それゆえに、
人と等価にコミュニケーションをするそれは、
アクティビティとしての有用性を除けば、
他はまったくの無用であると考えます。

日本人が考えるような
ロボットの開発というものは、
ある種のフラッグシップであって、
汎用のものとしては
ほとんど意味を持たない質のものであると考えます。