ただガキ作りゃいってもんじゃない

このブログでも度々、
問題として書いていることとして、
日本の人口が減っているという問題があります。

一般的、社会的な観点から見る
人口減少というのは、
特に労働人口の減少にはじまり、
経済的な競争力の低下、
国の財政の確保が困難になるなど、
そういう面で危惧され、
あれこれと対策が講じられようとしています。

ただ、これも僕が以前に言及したことに
重複する部分があるのですが、
それこそ富国強兵時代の
「産めよ増やせよ」ではおそらく
問題が解決しないというか、
「産めよ増やせよ」とやって奏功したとして、
国民の頭数は増えるかもしれませんが、
それと平和に暮らす国民の数は
正比例的に増えるものではないと思えます。

労働力、財源のの確保という理由のみで
子作りが奨励される世の中になるとすれば、
それは旧世紀の貧しかった時代へ
逆戻りして、同じ不幸を
繰り返すだけなのだろうと思います。

故に、
平たく乱暴な言い方をしますが、
それこそただ、
ガキばかりポンポン作っても
そのガキがバカばかりだったら、
本末転倒になるのではなかろうか、
ということ。

赤ちゃんができることを
切望している方にとっては、
非常に愚劣な物言いに取られかねませんが、
今の世情、社会情勢などを考慮に入れると、
むしろ「産まない方がむやみな業を作らない」
とさえ思えます。

つまり、
いくら行政レベルの対策として
育児や出産しやすい社会づくりを奨励したところで、
そうして産まれた子供たちの受け皿たる
社会構造が腐りきっていては、
子供が健全に育つとは思えないということ。

いじめ、差別、体罰、
無思慮な競争社会、
功利主義の価値観。

今のこの世界には、
幼くまっさらな魂を持つ「子」にとって
毒、害悪、というか
まさに地獄でしょう。

この生き地獄に子を産み落とし、
我が子をそうした地獄に晒す神経が
僕には理解できないのです。

もっとも逆に、
これは僕のような子供のいなくて、
また現在、子供を欲していないから
言えることであるのかもしれないとは思います。

ただ、本当に愛する人との子を産み、
育てていく人生を切望している人の存在も
心底痛み入って感じるまでの感受性にまでは
至らないものの、
そう痛切に想う人のこころというものは
理解はできているつもりです。

だから故に、この地獄にも
子を産み落とすこと自体に
必ずしも「悪」と断じることができません。

この地獄に我が子を産み、
「守りながら育てる」ことが
親の務めであり、責任、自負であるのでしょうが、
そうした一見、親としての責任感の萌芽も、
ある種、劇場型の親のエゴでもあるかもしれないという
ジレンマが、果たしてこの現状としての世に
子を産むことの是非に
答えを見いだせないままでいるのです。

ただこのことだけは断言できます。

ただ子供を産み育てるだけなら、
動物でもできる。
人が子を産み育てるということは、
一つの固有たる精神を
産み育てることであり、
そこには心の豊かさがまず
先んじられなければならないのだということを。