精神の奇形

気のせいでしょうか。
最近、人を殺してバラバラにしたという
ニュースを何度か聞きます。
もちろん、同じ事件ではなく別件として。

あと、野良猫の惨殺も。

猫好きとしては、
あり得なさ過ぎてピンと来ません。

まあ、殺生をする事に限らず、
今、本当に頭のおかしい人が多いです。
まあ僕も連日、訳の分からん世迷いごとを
ブログに長文で書き連ねている時点で、
僕自身もまたその
頭のおかしい人の一人なのかも知れませんが・・・(笑)

これは日本に限った事ではありません。
世界中の人が狂い始めている、そんな気がします。
いや、と言うか、
気づいたら世界中のいろいろな人が
狂っていたと言った方が
表現として正確かも知れません。

そういう人たちが起こす事件を
見聞きするたびに、
奇形の精神が蔓延している事を痛感してしまいます。

別に自分の宗教観とか世界観を
押し付けたり、ひけらかすつもりはありませんし、
そもそも僕は信仰を持っていないと
断りを入れたうえであえて
「精神」という概念を論ずるなら、
思うに人間の肉体というものは
それこそ魂を入れる箱や器のようなものだと思っています。

例えばパソコンやスマホのように、
機械という物理的な装置を肉体と見立てるなら、
いわば精神は、それを動かすアプリケーションや
オペレーティングシステムのようなものだと
イメージすれば近いでしょうか。

そして今、
ハードウェアに対するソフトウェアに相当する
精神が、明らかに破綻してしまっている人が
多くなっているのかも知れません。

もちろん、人の社会というものは
単なる物としての機械のように
個々に遮断、断絶される事はありません。
人の社会というものは
善い精神も、悪い精神も
同じネットワーク的な世界観の中で
相互に影響、干渉されながら成り立っているものなのです。
それこそ、引き蘢りでもしない限り。

故に例えば先日のように
猟奇的な事件があったとして、
それはニュースで報道されている事であって
自分の生活とはまた別の世界の出来事だと理解したところで、
事実として情を鵜を外部から得ている限り
そうした遠巻きながらの惨劇から
自分を完全に隔絶できないのです。

ニュートラルな精神も、
他所で沸き上がった悪い精神に
共鳴してしまうような、
言わば物理的な作用を及ぼすのです。

そしてこの世界には、
器たる肉体だけが機能し、
精神が空っぽの人が多いのは事実です。
いくらでも毒を注ぐ事ができる
空っぽの器に毒を満たした人が
この世界には大勢いるのです。

本当は薬となるもの、
この世界にとって薬となるもので
その器を満たす事もできたのでしょうが、
どうやら人類は
毒を満たす事を選んだようです。

肉体に満たされた毒は
別の空っぽの器に次から次へと引き継がれ、
やがて人類が共食いをする時代がくるのだと思います。
今、その入り口を入ったところに
人類は立っているのでしょう。


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