死を憂う国へ

昨日は敬老の日だった訳ですが、
散々言われているように日本は

高齢化社会の入り口に
さしかかっていると言えます。

けれどこれは本当に序の口なのだと思います。

やがて、人口の4人に1人とかの割合で
高齢者となり、否が応でも
自分の死について考えざるを得ない状況となると、
自ずと世の中は変わる筈です。

住む人の4分の1が
「死を思う国」になるという事なのです。

人の生き死にについて考察する事は、
思うの哲学の原初であり基底です。
まずここの問いがあったうえでの
人の思う事のあれこれが
成り立つと言っても過言ではありません。

ただもちろん、
誰しもが老いていく上で
それこそソクラテスやサルトルのような
物思う人になれという訳ではありません。

かなり前にもお話した事がありましたが、
それこそ最近言われるようになった
「終活」と呼ばれるものだって、
実は充分に人生哲学の一つ足り得るし、
個としての人生体験の中で
それについて考える事は、
古き偉人が遺した哲学と
等価の重みを持つものなのでしょう。

あと10年ちょっとすると、
「いかに死と対峙するか」という意味合いの事が
普通に語られるようになるでしょう。

何故なら、今以上に
死と対峙する人が人口の割合として増えるのだから。

「生きるという事は、こういう事だった」とか、
「死とは何たるか」とか、
こういう事が無理無く自然に語られるような
社会になっていくのでしょう。

別にこういう事柄について、
考えようが考えまいが、
やがて人は死に行くわけですし、
死について考えないのも
一つの生き死にについての対峙の形だと思いますが、
それとは別次元で
「死のある人生」と
「死の無い人生」の両者では、
人生に積み上がるものの差が
結果に顕れるのでしょう。

さらに一つの同種の結果であっても、
それを是とする人もいれば、
非と考える人もいるのです。

だから答えが出ない。

これは答えが無いからではありません。

人の概念の外側に立たないと
見えてこない答えなのかも知れません。

いずれにしろ、
日本は、そしてやがて先進国から順番に海外でも、
こういうことを
考えさせられると言うか、
突きつけられる時代がやってくるのだと思います。


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