夢想の不確実性

The Leo
さあ、
何者にも消されることのない
孤高の火を灯すのです。
その火は猛々しいまでに
煌煌と燃え、
あなたの描く夢を
現実のものへと
せしめることでしょう。
それが望む現実へと
辿り着く道しるべでもあり、
合い言葉でもあるのです。
その炎は不屈の精神。
情熱という名の
たゆまぬ意思。
たとえそれが
儚い夢想に終ってしまったとしても、
不屈の意志をもった
その炎が、
新たな旅路へと
誘っていくことでしょう。
こう唱えることは
はたして単なる夢物語でしょうか?
それとも、
夢を実現させる為の
一つのノウハウなのでしょうか。
きっと現実と言うものは、
諦めた時、それが夢に変わるものなのでしょう。
諦めた時、
不屈の灯火が消えた瞬間になるのでしょう。
そしてこの真理が何故ここまで
詩的に描かれているのでしょうか?
そう、確かに手に入れた現実は
まさしく揺らぐことのない
現実ではあるでしょう。
しかし
望む現実へと辿り着く
その道のりそのものと言うものは、
いかにあやふやで、
夢見がちで、
大きな幻想を抱いている
ものなのでしょうか。
つまり、
夢を実現させること
それすなわち
夢を見ることと同義語であり、
自身を取り巻く現実と言うものは
自身の周りに浮かべた
夢のシャボン玉のような
ものであるとも言えるのです。
ということは、
確かな現実というものは
夢想の淵から飛び出した
シャボン玉のように
どこへ行くかわからず、
また、いつ弾けてもおかしくない
不確実性を多分に含んだ
今、そこにある現実に
他ならないと
言えなくもないのです。
故に、
夢の実現の道程にある
現実とは、
シャボン玉のように
不確実であり、
もし運良く手に入れたと思えた
その現実もまた、
新たな不確実な
無数のシャボン玉という
選択肢の中から
選びとらなければならない
不確定な現実でもあるのです。
結局、人を取り巻く現実というのは
常に不確定であり、
そうであるが故に
夢想することを止めないのです。